昨今指導系Youtuberがこれでもかとあふれ、いろいろな教え方が出てくるものだと感心してしているところではあるが、中でも光るのは平岡氏とフェニックス卓球チャンネルであるのは言うまでも無いだろう。

基礎打ちの設定を余すことなく見せてしまっている両者の動画はある程度のリテラシーがある人間が見れば目から鱗が落ちるほどだが、そうでない者にはもっと説明しなよと思われやれ低評価だ。


一般が喜んで見て、理解できる動画ともなればインパクトがあって分かりやすい「感覚的指導」の動画。
「〇〇するように」「壁を~」みたいな類の方が意識するべきところがふんわり・やんわりしていて、何度か繰り返し意識してたまたま上手くいってしまえば、いい指導法として認知される。

再現性の乏しさはあるものの、それでも「いい感覚」を得られた成功体験が上達には必要不可欠であるから、いい体験を積み上げていく中ではこれはこれで必要なものなのだ。


そうした指導が世にはびこる中で、アウトローに一石を投じようと誰もが挑戦してみるわけではあるが、そのどれもが正しいようで正しくないこともままある。
それはそうだろう、全てを一般化できるものではない。何せボールもラケットも常に動き続けるものなのだから。加えて卓球自体ミスするスポーツだし、常に絶対なんてありえない確率に依存するもの。

確率的正解を得ようとする中で必要なのは広く言えば再現性、更に細分化するなら位置覚の理解や一連のラリーへの理解であったりする。

どんな技術においても自分がどう動いているかを理解することや、どういった局面で使用可能なものなのかを理解できていなければ動作面で問題が無くても必然的にミスをする状況、不利局面となりたとえ入ったとしてもミスとなる状況が生じてくるからだ。


実際の現場では従来からの感覚的指導の繰り返しで得られた技術とそれが使えるパターン練習で培えた展開と、そしてメンタルというふんわりとした不確定要素に頼っている。

卓球がなぜメンタルスポーツと呼ばれるかは端的にメンタルスポーツと呼ばざるを得ないほどに展開分岐が多く展開研究をあきらめているからであると個人的に思うところではある。

一般レベルであれば、相手研究に加えて相手が苦手そうな展開をひたすら押し付ける練習を詰めばあとは作業、メンタルに左右されにくい卓球が出来るとは思う。しかしレベルが上がるにつれて、とっさの戦術変更、つまりはシビアなコース取りや球質変化が求められ、どれもそれなりのコストが必要なプレーであり、もはやメンタルスポーツという他ない難しいプレーを行う必要が出てくる。

全国で勝てる選手はとにかくすごい卓球を知っている、と小学生レベルの感想を述べてみよう。

レベルの高いプレーと戦況判断が出来るから、それらを教えることが出来るかと言われればさっきも述べたように繰り返しの感覚的指導で得た技術である為にそれを誰にでも伝わる形で教えても練習をレベルに見合うまでやり込まないと再現性の獲得までは至らない。
加えて、その技術をさらに安定させるため、いい指導者がプラスアルファで教えたことや、正しく発揮される決まった展開があり、それを選手自身が指導の際に補足できなければ尚伝わらない。

結局、何故そういった指導法に至ったかの経緯を知らねば、理解は困難なのだ。

その人の基礎打ちから考え方から色んな情報を集め考察していくうちに、見えてくるものもある。
そういった部分を再考察していくほど面白いと思うこの頃だ。

こうした感覚的指導法の裏にある情報不足に対し、私は解剖学かつ高校物理を背景に汎用性のある言語への置換を試みたわけだが、その実感覚的指導の多くは厳密には間違っているが感覚を覚える意味では正解であると何度もこれまで書いている。

というのもそれを教える側は動画でのみ教えているわけではなく、対面で教えて有用であったからこそ動画にしているわけで、対面で教える際はより多くの情報を教え失敗しやすい場面なんかもケアしていることがほとんどだからだ。
だが動画の性質上、というよりほとんどのメディアでは必ず言葉足らずとなってしまう。
私はなるだけ情報不足にならないようこれでもかと例外を含めて書いてみたりはしているが、そのお陰でリテラシーが低い層がよりつかなくなってしまったわけだ。(幸い医療関係者が多く読者にいるのが救いだが)

そこで逆にリテラシーが低い層、県トップの小学生に教えてみて、やはり言葉が分かる子供には解剖学用語からのアプローチは可能ではあったが、退屈そうに聞いている子にはむしろ感覚的指導の方が有効であった。

そう、解剖学的アプローチを再度感覚的指導に置換しての指導だ。

例外や誤解があるような指導法ではいくら正しい方法であっても間違いの元になる。

結果的にリテラシーが高い層に解剖学的アプローチで指導した際と同等の効能が得られる感覚的アプローチ、これが確立されればよりよい指導が出来るはず。

そうして種々模索し、指導してみて気付いたことは、昔ながらの指導法でも多くはまかなえてしまうということだった。
間違っていることを何個か組み合わせると、基礎設定として間違ったままでもミスしにくい条件が完成する。まさか…な話ではあるが。そうした指導が淘汰されてこないのはその為だろう。

ただその中でも、基礎設定として単独で強いものもある。それを意識すれば必然に正しいフォームが規定されるものだ。

・ラケットの下に当てる。(仙台ジュニアで昔から指導されているとのことだ)
・ブロックは当ててから打つ
・ループドライブは台より下で低いところから打つ

感覚的か、と言われればそうでないかもしれないが、ふんわりしながらもこれらを満たそうとすると必ず多関節運動が強要され、一定のフォームになりうる。

フェニックス卓球で言われたサーブのキレる人の特徴である
・サーブは臍より後ろで当てる
なんかもどちらかと言えば感覚的ではあるが、その実これを意識するだけでかったるい解説を省略することが出来る素晴らしい指導だ。


また、当ブログで推していた少し具体性を持たせたワンポイント指導としては以下が挙げられる
・ツッツキではスイングの後半で当てる
・フォアの際、体の右足の外側辺りまで引き付ける
これも満たそうとしたらかったるい解説を省略することが出来る、感覚的指導よりの言語だ。


解剖学的・物理的指導の繰り返した先には、案外簡単に教えることが出来る感覚的指導が待ち構えていることが往々にしてある。
本来指導する側は従来の言語を見直し、より分かりやすくかつ教えやすい言語に言い換えていかねばなるまい。
だが最終目標は上手くなること・強くなることだから、言葉が間違っていても対面指導でしっかり教えることが出来るのならば別になんてことないのだ。

あとは指導者側が柔軟に、一つの指導法に固執せずいろいろなアプローチから上手くなるための言葉を投げかけられるかどうかにかかるかもしれない。

理想は万人が聞いて、万人のフォームを1つに絞れるようなワンポイントアドバイス

今のところ「動かないようにして打て、というか動くな」ぐらいしか思いつかないが

得てして難しいものだが、患者相手に話すときと比べれば幾分楽だろうか。
いやはや・・・早く卓球したい。。。