お久しぶりです
昨今のコロナ自粛ムードの中みなさんいかがお過ごしでしょうか
私は非常に暇で、実はブログを書こうとしていたのですが、ネタ切れで(いつものごとく考察することが無くなってしまって)なかなか書けずにおりました
大学時代と同じ生活環境にいるのに卓球も全くできないし。

世はyoutuber乱立ムード。みなさんも色んな動画を見て、ラケットを握るその日を待ちわびていることかと思う

技術考察動画や、技術考察系ブログ、twitterでの論客さんなど、大小さまざま、真偽不明なものがここにきて莫大に増えてきたように思う

かくいう私も適当なことを垂れ流しているため、私自身の真偽も危うい

少し話を変えて、コロナ関連の医学的情報もまた、真偽不明なものが乱立している

検査の感度、特異度にしかり、偽陽性、偽陰性、死亡率、罹患率etc...
様々な「医学用語」を元に、それを自らで「理解した」と自己評価する人間がそれを語っているのだ

加えて「東大教授」やら、「ノーベル賞」やら、「専門医」やら色んな肩書を持つえらい方々が、各々に語りたいように語る。
それもさも真実かのように、そしてそれを鵜呑みにする人間も少なからずいるのだ。

なぜ信じるのか?と問われれば理由は「肩書」を妄信しているからにほかならず、そのソースを確認して真偽を確認しようという人間も少ないことだろう。

無論、そのソースとなる論文が参考にするデータも信じれるかどうか危ういのが現状ではあるのだが。

情報があふれかえってしまった現状、何を信じればいいのか本人のリテラシーにかかってしまい、他者が言うことが全て真実にも、嘘にも聞こえてしまうことだろう。

私が思うに、様々な発言や考え方を見た際信じられると思う情報は、その情報によって臨床にベネフィットがあるのかと考えた際にあるものは耳を傾けていいのではないだろうか。

学者さんが適当にCOIがありそうなことを言っていればバカ臭いし、芸人やアナウンサー風情が感染症を語ればくそくらえとも思う。

実臨床で感染症をやっているような、感染症専門医が、実臨床が見える形で発言されていれば説得力がある。

ただ正しいだけではなく、私が見ている現状と照らした際に「再現性がありそうな考え方」であるのだ。



昨今のコロナの「誰がほんとか」問題を見れば、Xia氏の言うような「属人性」という表現がまさに当てはまるように思う。
発言力や実績が、そのまま発言の正しさを担保してしまうということだ。
卓球においても全く持ってその状況が面白くなく、正しさの追求をしてみようではないかと考察・発信してきたし同テーマで散々吠えてきた。

どれも正しいし、自分が一番理解できるものが良い、というのがあまりに無鉄砲だが私の結論だ。

さて、最近宮崎氏が「得意を超得意にし苦手は放置」と発言され、そこそこ支持を得ていた。
この言葉の真意は(というか本人も無意識に感じていることだろうが)超得意なことを伸ばすということは相手に相応の対策を強いるということであり、自分の不利局面も固定化されてくるため、下手に苦手を伸ばすよりも対策がしやすいということもあるだろう。

すなはち場合分けがぐっと減るということだ。
単にフォアを伸ばせば、フォアのレベルに応じた展開の練習がさらに必要になるし、ミドルを狙われるようになる。そのミドル処理をバックでするとしても、バックが得意程度ではうまく処理できなくなるかもしれず、結果プラスにならない。

まとめれば展開メタを張るためにも、相手に展開を「強いる」ためにも超得意を作るということで、苦手を放置するということではない。

今後、この単純に言葉を鵜呑みにしたキッズたちは、自分が得意なことだけやろうと、メタ展開で潰されることが増えてくるだろう。
それも誰もが「自分がバックは上手」と思い込みたいから、バックの練習だけをして、フォアがざるになる。

もし、このブログを見ている中学生たちがいれば、アフターコロナの頃に、フォアに積極的に巻き込みアップダウンを出して、レシーブはガンガン微妙に出るツッツキを出してフォア対オールで勝負してみてほしい。びっくりするほどきくでしょう。

さて、属人性が高い言葉一つをとっても、言葉だけの意味では統一性は持たない。

その言葉の真意を汲み取って考え、「プラスワン」を見つけなければいけない。

というよりほぼすべての指導法がそうだろう。

twitterでしったか考察する人らのほとんどは、現象の一部を切り取り単一の要素でしか考えることが出来ていない。
それ故に経過を追っていくと全く別の方法や考え方に飛びついて、考え方のウインドウショッピングに興じている。
無論それを否定しない。いろんな考え方を知ることで見出した共通項が、自分の中で普遍的なものとして残り上達の基礎、還るべき価値観となりうるからだ。
自分の中で絶対を持っている人の方が、いつだってうまくなることが出来るし、少し忘れてもすぐに思い出せる。


だが、この還るべき価値観を持つことはなかなか難しいし、そこまで説明できている指導者はほぼいないだろう。

例えば私やフランであれば3Hitが原理としてあるから、すぐに戻れる。
ほとんどの卓球人においては三大感覚、「こする」「はじく」「もつ」なのではないだろうか。
これがしっかりしていれば、レベルが高ければいつだって戻れるだろう。


何かをベースにしての指導法であれば「プラスワン」を自然と得やすく、体得もしやすい。

最近の指導法には様々ある。科学をかじったものから、歴史的な身体操作を使ったものまで。
それらの原理を理解して、自分で技術考察をくみ上げることが出来るならば、その中でプラスワンを得て再現性を生み出せるならばそれは自分に合っている考え方だと思う。

この意味で合う合わないを考えてみるのはどうだろうか。



さて、日本でよくある指導法、

前にふれ

私が一番嫌いな教え方だ。
前にふれと言っているのに、フォロースルーが前にいってるだけで、バックスイングは小さいし、インパクトまでそんなに前に振っているスイングじゃない。

3Hit的に分析すれば、寄せてから、前にふっている

そう、「寄せてから」なのだ

前にふれ指導を受けたものの多くが、タイミングが合わずにミスをする
そう、「寄せきれてないから」
指導しているものの多くが、打ち急いでオーバーミスをする
そう、「寄せきれてないから」

ごくごく一般的な指導法でも、「プラスワン」が抜け落ちてしまっていることが多々ある

加えて、大事なことが「プラスワン」の方で、付随的なことがメインで教えられていることもしばしばある。と言ってもこればっかりは感じ方次第だろうが。

この意味でも指導法に加え、「プラスワン」を探しにいくという姿勢、すなはち重点とすべきポイントを考え、どこが自分のなかで最も大事かを検証するということが必要なのだ。

時間がある読者の方々も、ぜひともある指導法がはらむ言葉足らずな重点をみつけ、再現性や説得力があるような「プラスワン」を見つける工夫をしてみてほしい。

きっとよりよい理解につながることだろう。

考察要請随時受付けます。

PS.

Xiaブログコメントでちらほら私のブログを引用してくださる「い」さん
実はうれしいです、ありがとうございます