先日病院でKYT(危険予知)トレーニングに参加した。
コメディカルが入り混じり、特定の場面でどれだけ生じうるであろうアクシデントを想像し、それに対する対応策を講じれるかというグループワークだ。
私が参加したグループは研修医が私1人、薬剤師が1人、他が看護師4人という面子。
お題はこう

「上司からメールで取引先に書類をFAXしろと言われた為、FAXを送信した。」
この一文からありうるであろうミスを想定し、対策をしろ。


どのグループも書類を間違えないようにする為に書類をダブルチェックするだの、送り先を間違えないように声を出すだのという回答。

確かにこのイベントの趣旨に合っているし、答えなのかもしれない。
だが、私が一番気にすべきは、「上司からのメールの真偽の確認」だと考えた。

というのも、なぜ誰もそのメールが正しいと信じて疑わなかったのかがわからない。
もし仮に、上司からのメールが間違っていたら何をしてもミスとなる。
故にまずはメールの内容を確認することが前提としてあり、その後のことを考えるべきなのだが、そもそもそれ以後に能力差があるとも思う。

医者目線で言うならば、最初に指示を出すのが仕事で、それ以後は絶対にミスをしないよう細心の注意を払う。
故に初めの段階でのミスが何よりも許されないのだ。薬一つを間違えたせいで死んでしまうことだってある。
一方で、コメディカルであればオーダーは正しい前提で、医師の指示に従って自分がミスなく処置をすることを意識する。
故に初めの段階のミスはないことが前提で、それ以後のミスをどうしてもしてしまうから、しないように対策をする。

こうした情報に対しての意識がより初めにくるか、それとも後に来るかというのは、その人の処理能力に依ってしまうというのはある致し方ない。だが、それ以前に出来ないことに意識がいくばかりで、最も重要な部分へ意識が全くいっていないと気付けないというのが、何よりも危険だとは思わないだろうか。


これは情報の真偽に如何に関心を寄せているかという、(私が大好きな言葉である)情報リテラシーの乖離を如実に示す一例ともいえよう。




ここからは偏見まみれだが、最近こんな話を聞いた。
整形外科病棟で働く母から聞いた話だが、最近ヘルニアの患者がヘルニアとわからないままに整体に行き、ばっきばきに悪化させられ脊髄損傷の症状が強く即日手術となったと。

世間一般のイメージとしては、体が痛い、骨が痛いとなれば整体に行くのはごく自然でそこで治療を受けられる。

本来はここで疑問を持つべきで、なぜ体の痛みに「整形外科」と「整体」の二つがあるのかということ。

読者の方はこれをご存知だろうか?
整形外科は西洋医学をベースとしたれっきとした医療であり、医師免許を持ち専門教育を受けなければ行うことができない。
一方で整体は東洋医学ベースで、明確な資格もない代替医療。

整体では画像を取ることはできず、触診、視診程度でしかわからない一方で、整形外科では画像を取ることができるため、明確な医学的診断の元に根拠のある治療を行うことができる。

それ故に整体に行ったからと言って必ず悪いものが良くなるわけでは無く、そもそも何が悪いかわからず適当な施術により悪化するリスクは高い。
といっても整形外科でもミスをすればリスクはあるが、画像診断を用い現代のスタンダードの治療を施すことができる。

更に言えば、診断の精度が明らかに整形外科の方が良く、その病気の病態への理解も深い為に治療もより細かくすることができる。
これは、元々のものをどれだけ疑ってかかり、どこまで細かく見ているかという観点で、「上司のメールをいかに疑うか」という発想に近い。


また、似たようなものに柔道整復師があり、これは国家資格。医師の診断の元で施術が認められるもので、より信憑性が高い。医師ができる施術のうちのいくらかを任せているという意味で、看護師に近い。

だがそれもあくまで看護師に近い。診断し、その診断に至るまでの病態生理を意識してのより情報の上位に目が行く観点があるかと言われればそうでもない。


さてここまで書けば分かるだろうが、情報の上位の決定権、すなわち診断を認められているのは医療においては医師しかいない。

それ故に私やフラン氏は医学部時代から情報の出自や、どれが情報の中で最も重要か考える力が求められ、それをひたすらに議論したくなる。

だからこそ卓球においてこんなブログを書き始める始末。

医学は生理学を知ったうえで病態生理から治療まで考察する学問。常に帰るべき正しい学問としての生理学がある。

さて、卓球においての正しい学問は何か、と言えば物理学と解剖学というのは言うまでもない。
物理的観点から確実に入れる為の3Hit仮説を立て、それを元によりよく運動するための解剖学を卓球解剖学として考察を始めた。

それ故に私は3Hit、解剖学が帰るべき考え方としてある。

加えて

卓球においてはボールが入るための条件を踏んだうえで、球質がよりよくなるような物理条件と身体条件の双方を満たすことが重要

とした上で考察をしているが、他の考察屋はどうだろう。

経験則から正しいことに説得力を足す為に無理矢理説明を付けていないだろうか。
局所的な条件を推し、一時的な効果を得ることを目的とし、ゲームで入るわけが無い打法を押し付けていないだろうか。
解剖学と卓球の関係性の考察がおぼつかないのに、下手に解剖学に手を出しているのではないだろうか。

総論がわからなければ、本当の意味で各論は理解できない。

総論的な物の考え方が出来なければ、各論的な考察もちぐはぐで矛盾だらけになってしまう。

こういっても、なかなか理解されることもないだろう。
なぜなら相応な勉強なり、研究なりしていないとこの感覚は理解されないだろうから。

だが、そうした学問的な経験は無いにしろ知り合いの三段選手はこうした思考方法を習得していた。
卓球を通じて、様々な学びをしてきたからだろう。上級者で学問的な経験を抜きにこれほどの考察が出来る人は日本全国を探しても彼しかいないかもしれない。

指導者たる者、かつての実績があったらいいというものではなく、彼のような思考力を持っていて欲しいものだ。

欲を言えばメディア露出して欲しいものだが、、、このまま力を持ったまま埋もれていってしまうのだろう。



話があっちこっちいってしまったが、まとめとして。
当記事を機に、情報の真偽を疑う癖を付けて欲しい。
少なからず、今の卓球界隈の指導動画はネタ切れで、眉唾な物しか出ていない。
身体の使い方を知っていたとしても、バイアスがかかった見方をしており、実際の卓球で用いられる物理をろくに考えられていないことが多い為に大体怪しいものとなってしまっている。
全然卓球が出来なく、たまに動画を見るしか出来なくなってしまった現在、ゴリゴリの物理考察や医学考察が見たいと切に願う。。。

フランどこにいった。