※ 休止中に書いたまま上げそこなったものです。
  卓球あんまり関係ありません。
  結局それかよ、、、とおもわないでください。




先日、ネットサーフィンをしていて
「不倫しやすい人の特徴五選!」
 みたいのを見つけた。
するとその一つに「酒癖が悪い」とあった。この酒癖には二つの意味があり、一つは完全につぶれてしまうこと、もう一つは酒癖が悪いことを理由にするということだった。


えっ、酒癖が悪いことが「酒癖が悪いことを理由に酒癖が悪いことを意味する」って?

一目見れば成程な、と思われる方の方が多いだろうが、念のため説明しておくと、酒癖が悪いことを周知させておくことで、ある程度の罪行は許される傾向にあること。

「お酒を飲んで酔っ払ったから仕方がない」ことで自分の罪行を正当化するという意味での、酒癖の悪さ。
それもありがちなパターンとして、完全にシラフだと罪悪感があるから、自分を自制できる程度に酔っ払っておいて恣意的に罪行をなす。これだけ酔っていれば相手に恣意的にしていることがバレないだろうと思いながら、恣意的に繰り返す。


これってかなりタチが悪いってわかるだろうか。

私もかつてはこうした手法を使ったことはあるし、勉強なんかでも成績が悪いことを理由に勉強をろくにせずに医学部六年生まできた。
自分が頭が悪いから、成績がずっと悪いから、順位が悪いと一度公言してしまいさえすれば、生き方は楽になる。
実際人並みに勉強すれば相応の成績が取れるのは分かっているし、成績順位の差で恩恵が無く、ただ受かるだけの試験に時間をかけて勉強をするメリットは無い時点で低空飛行で得られるメリットの方が大きい。
医者になるんだから死ぬ気で勉強しろよ、と思われるかもしれないが、東大に受かった人間誰もが死ぬ気で勉強したわけではないし、それに必要な知識を得る為に必要な時間は人それぞれだ。
バカみたいに勉強して事細かな知識を持つコミュ障と、人の気持ちがよくわかるが一般的な知識だけ持つ陽キャだったら後者を好むのが一般的だろう。

更に突っ込んで言えば、勉強のコストパフォーマンスを考えている人間ならば、大学なんてただの箱としか思わないだろうし、臨床に出た際のことは臨床のプロに聞かねばならないとしても、学内講義の全ては効率が非常に悪い。なぜなら彼らはあくまで臨床のプロであって講義のプロではないからだ。
ネット授業が一般化した現代で、基礎医学から臨床に至るまで、全て指導のプロが最新知見を含んだ話を誰もが聞く環境、聴く権利が学生にあってもいいはず。少なからずアメリカでは日本と比べて良質な教科書が多い為、一般的な授業は少なくし、各自勉強、それに関するディスカッションとテストで単位を認めており、一定の質は保てていると聞く。
これは勉強時間がアメリカの方が多いということを引き合いにだす為の話として講義で聞いたのだが、それ以前にあんたらの聞かせる気の無い酷い授業全部取っ払ってただの医者に戻れよ、、と思ったほど。


アメリカの方が指導側、学生側共にコスパが良いし、日本のようなやることに意義があるとした文化重視でなく、スキル重視の実力主義としての考えが色濃く出ている。
私としては日本的な自由を束縛するやり方が一年生の時から見え隠れし、それに海外のやり方まで聞いてしまったら日本にいるうちは諦めた方がいいと絶望したものだが、これもまた結局、自分の環境に失望することで、自分ができないことを肯定し、自らを保身していることを意味する。
本当にやる気があるならば、全てボイコットしてでもよりよい方法を求めるべきだ。



自分に利益が無いと見るや否や、より自分に不利益が出ないように、より自分にとって利益が出るような道があるならば積極的に選ぼうとするのが人間としての性だろう。
基本的に、保身と利益はいつもついて回る。
保身をすることで利益を求めることができれば、その一方で利益を求めると保身に繋がることもある。
対偶を取ってみても、利益を求めなければ保身はできないし、保身をしなければ利益を求めることができない。

ここまで言葉遊びを繰り返すと、保身、利益は共に三大欲求ばりに自然と求めてしまうものだとは思わないだろうか。

ではここで一旦考え方を変えてみよう。
例えば、純前たる善意はあると思うか。

私は生来性善説を信じ切っているし、確かにあると思う。
それでも善意の裏に利益が見え隠れしていると思えばすぐに勘づく。
また酒癖での保身をしたことがある経緯から、保身をする人間の心理、その為のウソの演技なんかはすぐに気付く。

私見として、絶対に気付けない利益を求めた善意は存在しないと考える。
見る人が見ればわかるのだから。利益を求めた善意はアピールが必要。それ故に善意として他者に伝わるような演出も含む。その一方で純粋な善意はアピールする必要が無い。それ故に気付けないものという表現よりも、アピールされないから気付かれないものという表現の方が適切か。
となれば、純粋な善意は、利益の無い善意はどういったものなのだろう。

これはシンプルに自分が損しかできない善行、相手の利益の為に自分を貶める=自分にとっての悪役に自分自身が成り切れることを含むのだと考える。

わかりやすい例で言えば、親の一喝。
親が子を怒るのは教育の為に必要で、それで成長してくれる利益があるものとしても、それによって「子を傷つけてしまうリスク」や、「傷つく我が子を見なければいけない自分の苦しみ」等負の要素も十分にある。

子が道を間違えたら、自分を貶めてでも正してあげなければいけない。

そしてそれは単純な利益として自分に返ってくるわけではない。

ではなぜそこまでして自らを貶める善意を提供しようとするのか。
これもまたシンプルで、があるから。

この愛というのは何か、と言葉に表すべきものでは無い。
もはやこればっかりは、その人の感情というか、言葉に表せない概念として、その人が生きる上での根源としてあるもの。
愛という言葉は簡単に用いられるが、その実あまりに見えずあまりに大きく尊いもの。
今回フォーカスを当てているのは恋愛における性愛という意味ではなく、無償の愛(アガペー)か。

自らに利益の無い善意――――愛のある善意を受けたのなら、それをないがしろにしてはならない。
それは全て自らの利益にしかならないものなのだし、誰かの犠牲によって提供されたものなのだから。



「親の心子知らず」



なんていうが、これが本記事のまとめの一言か。
結局は子供は自らの保身しか考えることが出来ないから、自らの利益しか求めることが出来ないからわからずやなんだよ。

さて、ここまで書けば守備的≠保守的だとおわかりいただけただろう。
卓球の戦術にコミュニケーション力および人間力が大きく関わってくる、ということの意味がひしひしとわかりますね。
コミュ障の卓球は弱い。

卓球における純粋な善意、純粋な悪意、利益に満ちた善意、利益に満ちた悪意を自分の中で理解し、具体的なプレーを挙げておくことは試合で何をするか相手を見ながら考えた時重要だろう。
理系寄りの論理的思考というよりかは、多少ふわっとした文系的な考え方であるが、こうしたアプローチでも卓球の戦術はより深まるだろう。

だがその前に、卓球的にも、人間的にも強くなるためには、愛から始まるストーリーを勉強しなければならない。

では第1話から。
現在第2期、webで無料で見れる高画質かつ最速はYoutube BANDAI チャンネル、毎週土曜日午後11時5分から。愛を学べると思います。




がんばルビィ


PS 私は国試後、聖地巡礼をした。

utitti