後輩全員に同じことを教えながらも、数人になるたけ時間を割いて経過を見ていたところ驚くべき変化がみられるようになった。

それはタッチのバラエティーが増えたということ。

これまで「厚く」とか「薄く」といっても本人の感覚として厚く薄くをしているつもりが、実際は対した変化が見られなかった。

だが、最近の練習での意識付けにより「より薄く」が私の思う薄さになり、それをもっと薄くと言っても実際に出来るようになった。

これは一重に感覚の上限下限が広がり、より技術を持つ人のそれに近づいたことを意味する。

これまでバックドライブをする際に「もっと薄く」とだけ言ってだめだったのが、実際に薄く取れるようになった為、そのタッチにシナジーのある運動を加えるようアドバイスすることができるようになった。

肩支点の運動だけでなく、橈屈と同速での肩関節内転運動や、面を伏せて(回外位)のバックドライブ、下に振る対上へのカウンターバックドライブ、ループドライブに対する打点を落としてのフォアストレートのカウンター等、これまでセンスが無く「上級者向けだから」と教えるのを敬遠していた技術にもトライしてぼちぼちいれてくれるようになった。

更には一番の変化はツッツキが上手くなったこと。かつてのようなツッツキすれば全てがチャンスボールとはならず、低く返して相手の強打を封殺する展開を作れるようになった。

短い下回転サーブを全面に出してから、ストップorツッツキ縛りで高いボールや出るボールは必ず打ってからスタートの展開縛りでのオールをすると、これまではストップや深いツッツキをしたら返ってこないし、入ったとしてもチャンスボールばかりだったが、今ではまずまず繋いで先に打てるボールが来るまで粘れるようになった。

これは大きな変化で、山形県であれば非鶴東以外の高校生上位と互角に勝負するための必要条件であり、短いサーブを出す相手となら駆け引きができる次元に立てている。

少なからず県で勝てる、地方大会に顔を出す高校生以上のレベルでは「如何にいいボールを打つか」では無く、「いかに相手にいいボールを打たせないか」の次元に立たねば勝負することが出来ない。

その基本としてツッツキ系の繋ぎでループを催促し、それをカウンターする展開は必要不可欠である。

そして、ロングサーブが来たらしっかり両ハンドで打つ、相手に短いボールを台上ドライブやフリックで処理された時にカウンターをする、自分のボールの質を見極めて相手が次何してくるのか触った瞬間に読む

ここまでできればちょうど戦えるラインにいる、といったところか。
まだそこまで経過を見れてはいないが、そこまで上手くなる可能性があるように感じた。



また、これまでの考察から私にもある程度の変化は生じた。
より飛ばない感覚を使いつつ、ボールスピード、ボールの回転量をスイングスピードで補完することを意識して種々の打法を行ってみた。

するとほぼ全ての技術において安定性の向上、ボールを低くしたり、ミスタッチを減らしたり、回転量を上げることができるようになった。

嘗てはこうした取り組みを私もしていたのだろうが、如何せん練習する時間が無く、浮き球貰って、すぐそれをブチ当てて抜く技術だけしかやってこないのもありなかなか新鮮。

ここで私が思うのは、「当てこすり 」と俗に言われるものと、「こすり」と言われるもののタッチはほぼ同一、後ろから前のベクトルの大きさによって変わるだけなのではないだろうかということ。

上級者が速いボールを出す際、スイング一つ一つに力が入っているか、力が入っていないかどっちか、と聞かれた際、もし前者が答えだと思った方は、ベースメントとなる感覚が後ろから前のスイングで所謂厚く当てるものの可能性が高い。

柔らかいタッチ、優しいタッチが、人よりも強い可能性がある。

そもそも連打する際毎度のこと力を入れていては10本も連打すれば息が上がるだろう。
50本とか高速なボールを連打できるのは、スイングがそもそも軽く力を入れていないからに他ならない。

よく疲れるまで練習すれば力が抜けていいボールが打てる

なんてごもっともなことを言う指導者がいるが、それは半分あっていて半分間違っている。
そもそも力が抜けれる程力を入れるようなフォームなりグリップなりを見抜くことが出来ない時点であまりに愚か。
脱力の本質を知っているのなら、なぜ最初から教えない?
フォームの始まりも脱力から始めなければ、力を入れずに打球することが如何に簡単で安定感のあるものなのかを教えるところから始めないから、そんなごもっともなことを今さら言えるようになる。

勿論、脱力の方法を疲れることで教える、というのは考え方としてはあっているとは思う。
だが、そうした指導法はどちらかと言えば副次的であるし、元を見据えた上での指導法ではない為、間違いのリバウンドはほぼ必発する。緊張した場面で脱力できるわけが無い。


そもそもこの考え方は、デブの人に痩せられるようにやせ薬をオススメするようなもの。
デブを痩せさせるならば、まずは体重身長からBMIを算出し、食事習慣、運動習慣、睡眠習慣など様々な生活習慣を聴取して是正、もしくは肥満になりやすい元疾患なんかを探してからでないと始まらない。

発想としては木を見て森を見ず、まずは森を見てかき分けていかなければ本当の上達など見込めるはずがない。



ということで、一歩先の考え方と題してよくある練習から上手くなる為の脱力の方法まで細かく考察してみました。

本記事を以って、卓球引退とブログ更新を控えようかと思います。
というのも理由は大きく二つありまして、私の住む山形では本日からえらく雪が降りもう無気力。
ここ数か月不眠症で鬱だなぁと悩んでいたのを振り切る位に雪を見て落ち込みました。。
日照時間と降雪の有無って自殺率に大きく関わるなんていうように、環境変化は鬱の元。だからといって卓球をしてしまうと、気付けば脳内で卓球し、考察しブログを書いたりと結局は他のことは何もしなくなる。
どうやら今年は厳寒みたいですし、外に出ることを控えた方が良さそうです。
卓球に関わる一切を拒絶しない限りは、私はいつでもどこでも卓球をしてしまいます。

またもう一つの理由として、国家試験まで2か月前と私も追い込まれて来ました。
怠け者の私は自分を極限まで追詰めないと勉強しないようです。大学浪人期も如何に自分を追い込むかをテーマに娯楽全撤去+当時流行っていた大学受験日記みたいなので毎日を晒して、落ちたら笑いものみたいなことをしていました。それもあって100回山形大学を受けたら100回受かるようなメタを張り、他大は合格できないけれど、ここだけなら試験中寝ても受かるみたいな仕上がりまで。(実際数学中に居眠りをこき、50/200点でも合格者平均超えてましたので時間をかければそれなりのことができるようです。)

そんなに勉強しなくても平均位余裕に取れるでしょ、と思って臨んだ先日の模試で平均を割り、それどころか今日友人と点数比較したら負けているという悲劇。
国家試験も成績が高い方が偉い試験で無くて100回受けて100回受かるのが偉い試験であり、現状のペースでも落ちはしなさそうですが、このまま全く勉強せずに当日を迎えたら落ちる可能性が十分にあります。

ということで、リスクが若干でもあるのは性格上嫌いですので、まずは自分が時間を使ってしまうものから断とうと思います。



最後に、最近思うところを綴っておこうかと思います。
卓球は、と言わずスポーツにしかりゲームにしかりコミュニケーションにしかり、どんなことにも考えるべきネタがあり、どんな考え方にも長所短所があります。

最近は指導動画やブログ記事等様々な情報がありますが、どれも長所短所があります。
その内容が正しいか間違っているかを「有名だから」「強いから」ぐらいの理由で判断してしまっていては、情報化社会に呑まれているといっていいでしょう。

どちらかと言えば、硬派な考察を当ブログではしているつもりでしたが、読み手に伝わらなければただの言葉遊び。
だからこそ敢えて言いたいのは、ある情報において主張と過程が読めないなら、断片的でも流用しない方がいいということ。

よくある肩甲骨打法もただ肩を使うことが本質ではないし、本家本元の平岡氏の説明を事細かに聞かなければできるようにはなりません。

当ブログではなるたけ自分の考えた道筋が追えるに書いているつもりでしたが、最後のまとめの部分だけをやってみてできても実際緊張した場面でできるかといったらそうでもない。

情報を理解するとは、なるたけ自分なりに、論理的にかみ砕いて理解できてこそ。

とりあえず手を動かせ、なんて言われるかもしれないが、手を動かす前にまず頭を動かして、そして手を動かした後にも頭を動かさないと私達凡人は上達しない。

物事の浅いところだけではない、深いところまで理解しようとする、言葉の表面でなく、その真意まで読み解こうとする、そういった姿勢が情報社会においては必要ですよね。

ブログ復帰後に書く余裕があればまた練った考察をしていきたいと思います。

では、残り短い医学生としての生活を堪能して参ります。

次にブログを更新する時は、きっと研修医として。。。