「フォームは先にあるか、後にあるか」


こう質問された場合、あなたはどうこたえるか。
たびたび議論されるネタだろうし、著名な人の受け売りで「感覚が先だから後だ」なんて言う人がいれば、いやいや地元の監督が「まずはフォーム作りが大事だ」なんていうからフォームが先だなんて言う人がいるかもしれない。
はたまた自分なりの考えがあって、それなりの答えを持っている方もいるかもしれない。

私はこの問いに対して、一言強く答えたい。
「くだらない」と。

そもそも本質からあまりにズレている。

感覚やフォームをどう考えるべきか、私なりの考察を打法構成の観点から述べていきたい。



当ブログにおいて、感覚=感覚という意味を持たないのは読者さんからしたら当たり前だと思う。
私の定義する感覚とは「最小の運動単位」、すなはち「最小のフォーム」とも言い切れる。

あえて「最小のフォーム」と言い換えたのにはわけがある。

というのも私がフォームという言葉を「打球をするにあたっての一連の動作」という意味で捉えているからだ。
フォームの構成要素はあくまで一つでなく、複数の要素の集合である。

「最小のフォーム」に足し算をしていくことで、フォームとは構成されていくわけだ。


こう表現すると、「感覚が先にあって足し算がしているから結局は感覚が先だ」と思われる方もいるかもしれないが、じゃあそういう人には逆に聞こう。「あなたの感覚とは何であるか」と。

そしてその感覚に基づくフォームは全てシナジーがあり、無駄を省いたものなのかと。

こう聞かれれば、「感覚って感覚じゃないの?」とか、「屁理屈じゃないの?」とか、はたまた答えに詰まるかもしれない。

だが、これを理解しているかどうかで打法が全く持って異なってくる。
だってそうでしょう、感覚を感覚としか表現できないが故に感覚の再現性が安定せず、個人個人の感覚があまりに違いすぎるからフォームが同じ選手は少ない。
それに同じフォームをしていても同じ感覚をしているとも限らない。

また、たまたまいい感覚が持てた人の中のごく一部がいいフォームを持ち、それがたまたま強くなっていく。
こうして強くなった人だけが優遇されていくとなると、指導体制としてはずさんで、間違っていると思うのは私だけだろうか。



結局は感覚の再現性が、感覚に委ねられるから元も子もない話になっているわけで。
感覚を感覚以外の表現で、かつ一般化できるものならばいいわけだ。

となれば3Hit単位をそのまま感覚の最小単位とし、その3Hit動作をより円滑かつ強固にできるように運動を足していけば、その人にとってよりよいフォームはできるはずだ。

つまりは、感覚を一次的なものとしてとらえるのが良くないということだ。
最小の運動単位の結果として感覚が得られるとするような、感覚を二次的なものとすることでより感覚の理解が深まり、その下流のフォームの理解も深めることができる。
一次運動→二次感覚とすれば、一次の理解を深めれば二次の理解も深まる。

それ故に最小単位として最小の一次運動である3Hitを私は掲げているが、これもまだ大きい単位かもしれない。
より3Hitを理解することで、より小さい単位として運用することはできるだろうが、これ以上の単位を見つけるのは今の私では難しく、これまでの考察を全てわかるかたちで説明するのもまた難しい。

感覚の最小単位としてはやはり具体的で無理が無い表現が必要なのだ。

さて、感覚の最小単位と言えば、よく言われるのは弾くとかかける感覚だと思う。私もかつてはこれらが最小と思っていたが、弾くの定義、かけるの定義自体がその人の感覚次第になるため、これもまた説明で使ってはいけない考え方のように思える。

それこそ弾くやかけるを突き詰めていくうちに、3Hitに行きつくわけで、最小とは言いづらいのもおわかりいただけただろう。




PS
2日に渡って3Hitはやっぱり最小っぽい

昨日とほぼ同様な内容を違った表現で扱ってみたが、やっぱり3Hitが最小たりうるという話がしたかった。といってもここ2日、いやここ一週間はかなり手抜き記事ではあるが、、、
それもそのはず、明日出す記事に時間をかなり割いてきた。

研究・発見から1年を経た3Hitの今の姿を明日説明する。
これはかなりこってり作り込んであるので、こうご期待