何が良かったの?
の続きです。。休止以前の記事の続きを書き溜めて放置していたものを仕上げて今さら上げてみます。




セクハラとはセクシャルハラスメントの略で、おっさんが娘さんに嫌がらせをすること。
スポーツの指導の際にもよく見られるセクハラ。
メリットとしては、セクハラしている側は楽しく、デメリットとしてはセクハラされてる側が嫌・・・


なんてのはさすがに冗談。そんなこと本気で思ってるひとがいたら是非とも最寄りの交番に


私が本記事にてセクハラという意味で使うのは、無理矢理単語を当てた「second harvest」からとった、「る」という意味でのセクハラ。

秒で技術を習得できる方法、それがセクハラ指導法で、実際に体の動かし方を脱力状態にしつつ動かしてあげることで体にしみこませる方法。

一見簡単に教えられていいかもだが、基本的に私は否定的な立場を取る。


というのも、やっていることはいわば指導者の感覚の追体験。
それをベースにしてしまったが最後、どうやってその感覚を覚えたのか、どういう経緯でその感覚、打法を得るに至ったのか知る必要もなくなり、ミスをした際の原因がわからなくなる。
加えて、グリップの強さからスイング時の力の入り方は人間としての個体差に依存するところだし、指導者が思う感覚をストレートに伝えることはまず不可能。
だが、指導者の感覚に近しいそれを伝えることは可能である、とは言えるだろうが。


これまで私は誰に教えるにも、脱力した体を動かして教えることはあえてしなかった。


だが、経験者ならまだしも初心者相手には言葉と体の使い方だけでは限界がある。
実際にからだを動かされてどうやって当たっているかを実に感じてみないとわからないことのほうが大きい。

これから去る身としては感覚だけおいていってその後を教えることができないのにはいささか抵抗があるが、自分の卓球をそこに残しておけるという意味では多少は嬉しくも思う。 


ということで当時、教えることはなるたけ自分の感覚を教えてみようという試みに。


流石に何人にも教えることはできないから、5、6人に。前記事で紹介した後輩も含む。


実際に体を触れて動かしてみて思うのは、「非常に重い」

そりゃラケットよりも人間の体の方が重いんだから当たり前じゃん、と思われるかもしれないが、そうした次元じゃない。
筋肉が強張っていて、抵抗を感じるのだ。

これは緊張しているとか、触られて嫌だとか、様々理由を挙げられるが、「もっと脱力して」と繰り返し言ってみても、なかなか力を抜けない。
ここから推察するは、脱力の幅が非常に狭いと言っていい。加えて、そうした柔軟な動きに慣れてなくて、筋肉が硬いのか、体が硬い。

前記事;一歩先の考え方③;よくある練習を見直してみると
において、グリップは案外みんな硬い、というのも実際に「手を握って」と握らせてみて初めてわかったもの。
このネタを私と同じ代のかなり強い友人(鶴東のカットマンダブルスに肉薄した)に聞いてみると、「確かに、皆力入ってるもんな」と同じリアクション。
「試しに、握ってみっか?彼らと同じ強さで。」と手を差し出して握ると、
「・・・まじ?」
とげっそりリアクション。
見た目以上に、触れてみないと分からないのがグリップの強さだったりした。



「最小の運動の単位が感覚である」と定義するよう、最小の単位を行うにはそもそもの脱力がきちんとなされていなければ難しい。

それに前腕より末梢が完全にぶっとい棒だろうってくらいに硬ければぎこちない運動がその人のベースとなるわけで、どんな技術も育つはずがない。


さて、この脱力できない際力が入っているのはどこだろうか。



と、これに関して考察場合分けしていきそうな口ぶりだが、正直触ってみないとわからない。

よく力が入っている際に「力抜いて」「ぶらぶらーってして」なんてアドバイスされ、
実際にぶらぶら―ってしてから打つ→
力が抜けていいボールが入った→
コーチが「それが脱力、ナイスボール!!!」
なんていう場面があるだろう。

かつては私もそうだった。だが、これが大きな間違いではないだろうか
この脱力していいボールが入った時ほどしっかり考察してあげる、つまりは触ってあげないとわからない。そりゃ瞬間的に脱力して上手く入るときなんてのは誰だってあるし、いつだってある。
その脱力部位がどこか具体的にわからずに、脱力してたまたま入った場合、再現性が高いかどうかなんてのも本人次第とくれば、その脱力をしろというアドバイスは有益と言えるのだろうか、否、まぐれが重なった可能性が否定できない。
練習をいっぱいした後に振ると脱力していいイメージがつく、だとか当たり前のように言われるがそれをして誰もが良くはなっていないだろうし、それでよりよい脱力が出来るなら極論として、「練習前も試合当日もへとへとになるまで走ってからの方が安定した脱力を再現できるから、何よりダッシュすべき」なんてのが成り立つ可能性が出てくる。
要は不安定すぎる方法なのだ。

多少部位別に場合分けして考えてみよう。

例えば、脱力した先が手首だとしよう。
その分のぶらぶらした手首を支える為前腕が使われていたら?どうする?
その逆に、上腕を脱力した際に、その代わりに手首を使っていたら?どうする?

へとへとになった際、どこが脱力しているかなんて無意識であれば安定する筈がない。
脱力を意識するならば、具体的な部位を決めておかなければ再現性を高めることができない。
加えて、どこかを使わずに、他の部位を使った場合、まず高確率でボールの質は変わる。
そのボールの変化を見た際、ボールが強く、あるいは回転量が増したら「GOOD」という評価基準としている場合、正しい部位を使っているとは限らないことに気付けている指導者はどれだけいるだろうか。


本来は使ってもらいたい部位、あるいは筋肉を明示して、そこに力が入るような力の抜き方を考えていかなければならず、ただ脱力して「腕のしなりで」なんて伝わるはずがない。
というのも例えの「しなり」もわからない。
そのしなりを例える時の「ムチみたいな」のムチを使ったことある人が少ないのに、ムチに例えること自体無知だと言われてもしょうがない。
大方言葉のイメージで、伝聞で、言ってしまう表現だろうが、私はしなりという現象がよくわからないからむやみやたらに使えないものだと思う。

言葉の本質を考えず、よく言われることが正しいと思ってしまう競技者上がりの指導者あるあるの過ちだろう。


しかして、このムチのような、という表現が「いや実際に伝わるし」と言われても、伝わったと評価する基準がそもそも曖昧じゃあね、、、

ちょっと良くなれば良いという話ではないだろう?


話を戻すと、要は「脱力」をする為には、力を抜くべき筋肉を知る必要があるということ。
しかし、選手のフォームを見て、ひとりひとりに「ここに力が入ってるよ」と指摘して全体を上手くしようにもある程度医学や解剖学をかじっていたり、熟練した指導経験が無ければまず不可能。

そこで引き合いに出されるべきは「共通した適切なフォーム」を教え込むことだろう。
所謂感覚ベースの指導で理想のレベルまで高め、勝手に感覚が研ぎ澄まさせるようにするには何人コーチが必要なことやら。

といっても、力の入り方とか打点とか、ありとあらゆることの考察が、指導者視点から明確にわかりきったフォームでなければ結局話は初めに戻るのだが、全員のレベルを均一に上げ、かつ指導効率を良くするためには最善な方法の一つだと考える。



ここまでを纏めると、理想のフォームは何かと言えば
適度に脱力できて、最小単位の運動を意識した発展性のあるフォーム
だろう。

結局はかねてからの私の主張の裏付けとなるわけだ。


実際選手の体を動かしてあげて、これが「君の最小感覚だよー」と教えながら抵抗を感じたら、「この筋肉力抜いて―」と教えてあげることで、「なんかわかった気がする!」と講義形式で逐一教えるより瞬間的な飲み込みは見られた。(ここでの考え方としては、最小の力でできる最小の運動が最小の感覚だ、その結果理想のボールが出てなくてもそれがその人の最小なのだから、そこから運動を足していけば理想のボールに近づくことができるというもの)

実際バックドライブがろくにできなくても私が体を動かしてあげれば、簡単にキュンキュンかけられるわけだし。(煙たがられるが)

ただ、体を動かしてあげるのはいわばドーピング、初めて補助輪を外した自転車を乗る子供が倒れないように押してあげているのとおんなじこと。

そこで自分の体に自分の体の動かし方を覚え込ませることができなければ、ものの五分ですっ飛ぶわけだ。

更には、覚え込ませたものが間違っていたらもはや悲惨。

なかなか自分に自信が無いとできたものじゃない。


だから敢えて言うなら、卓球が上手いと自信がある人は積極的にからだを動かして感覚を移植してあげた方が上達が早いかもしれない。

ただ天才型の打球感やフォームを持っていて、私が常日頃真似すべきじゃない、と思う選手に動かされても変な癖だけがつくかもしれない。


それこそ平岡氏のようなシンプルかつ無駄の無いフォームの持ち主に操られるならば、安定すること間違いないだろう。

平岡氏に体を触られることすなわち、卓球が上手くなる近道。

上手くなれればセクハラじゃないが、上手くなれなければセクハラだ。

寿司屋は魚を触れるようになるまで何年もかかるし、医者も人に触れるなら触れる位の勉強をしなければいけない。


同様に卓球も人に触れる位に感覚を熟知していなければ、安易にセクハラしてはいけないのかもしれないね。

セクハラはクスリで、セクハラはリスクです。