「あなたは自分の何パーセントを友達に知ってもらいたいですか」

小学生6年生の時、担任の先生に道徳の授業中に唐突に振られた質問である。
無い頭を振り絞りながら、キッズたちは皆考えるわけだが、90%、80%とか多くを知っている人が友達と答える中で先生は「それは怖いだろ」とあざ笑い、僕らを否定した。

「そんなに自分のことを知られていたら気持ち悪いだろ?俺だったら5%だな、知られたとしても」






この先生は長い顔に大きなほくろからバナナブルーベリー、通称バナブルと生徒に呼ばれ親しまれている・・・・わけではなく、蔑称で呼ばれる嫌われ役。
このご時世の教育界においては相当にアウトローを行く先生であり、平気で生徒の両足を掴んで宙に吊るしたり、体罰がダメと言われるこのご時世でも鉄拳制裁を厭わない、ボキャ貧甚だしいが一言で言えば「強烈」な方だった。
私の出身小学校は地元の公立、しかも1学年30に満たない小規模校。それもいい子だけしかいないと評判の田んぼの中にある学校で、それこそ悪い大人もろくに知らない中で出会ったのがバナブル先生。
数学は全てプリント学習で自習。事ある毎にPCを授業で用い、パワポ作成、ワード文書作成が授業の大半。
それまで丁寧に授業をしてくれて、時には厳しく、時には優しく、宿題をしたら大きな花丸をくれたお母さん先生と比べたら全く持って大ざっぱ。
だが、国語や道徳、社会の授業なんかでは豊富な知識量と独特の感性を武器に授業外に脱線した話を延々と続ける。どれも真新しく、興味を引くものだった。
上述のエピソードや、「君たちが20歳になったら全員酸素吸えなくなって猿以下だ、残念だな(笑)」など一見すると本当に小学生の先生か?と思えるようなネタを平気で話す。

小学生ながらの事件が起きた際の対応もかなりロジカルで、他の先生であれば語りかけて精神攻撃するところを小学生に考えさせて攻略させようとする。
授業は酷くて教える気は無いのだな、と思った反面、言動なり行動一つ一つに意味があるのは明らかだった。
的を得た発言で小学生にぞっとするような思いをさせることがしばしばあったのだ。




話を冒頭に戻し、

「友人といったって関係は希薄だし、自分を人に知らせるのは怖いことだ。」言葉通りに先生の発現を理解すればこうした主旨だろう。当時先生は多くを語らず、児童からすればなんかまた変なこといってるわくらいの反応。だが、この言葉には裏がある。

「友人に自分の90%を知られていると思う程度にしか自分のことを理解できていない。つまりお前ら小学生は、自我の確立ができていない。糞ガキが、せいぜいもがいてみろ。」
今考察すれば深いメタファーだったし、明らかな力の差を見せつけられた格好になる。

当時、そこまで説明することを先生はしなかった。
「そんなん友達にはいっぱい知ってもらった方がいいに決まってるじゃん。バカだろこの先生。」と質問された際思った自分が、話を聞くに連れて徐々にちっぽけに思えてきた。そこで自分の小ささを知ると同時に、そこで初めて憎かった先生の大きさがやたら身に染みたのだ。

「自分のことを、自分の思考をやたらくみ取られている」

そんな気がして震えが止まらなかった。




人は自分のことを一番知っているのはあくまで自分であると思うだろうが、それは大きな間違いである。



上述のように小学生など精神性が未熟で、自我形成が未完成である場合、自分のことを自分でわからない。
自我ができていない者が、自我をしっかり持つ者、自我を形成する過程を熟知している者に分析されてしまえば、自分より自分を知られている人間がいる状況になる。


私は飲み会なんかで酔っ払って「お前こういうやつだもんな」と知った被ったことを多々いってしまい反感を買うことがあるほどの老害なのだが、そう言えるだけの自我に関して考える機会が多くあったと思う。
私はそれまですくすくと育ってきたのに、バナブル教室に対し小学生ながらに閉鎖感を覚え異様に関じ、悶々と苦しむ日々を送った。いい先生であるのはわかるのだけれど、やり方をあまりに変えられてただただ苦痛だった。
授業中にネットでゲームを誰もがしだし、黙認する。「先生なのに」だ。
なんならいじめや、ADHDを抱え問題行動を繰り返す子に対する対応もあまりにも漫画的。
看護師の母に聞いたADHDと対応を確かに踏襲してはいるが、GTO以上に斬新なもの。
今時どこに生徒全員を集めて、その子が病気なのだと先生が明かし、一人一人に考えを求めるなんてことをするのか。
なぜ考えの誘導もしない。
今時の大学生が間違いなく答えに詰まるような質問を、なぜ平然とできるんだ。

私の感覚としては納得はできるが、共感はしたくないやり方ばかり。
両親に文句を言っても「あなたが正しい。だけどそれが現実なんだ、しょうがないから頑張れ」としか言われない。
逃げ道も断たれ残されたのは自分の成長だけだった。

そんな中で、小学生だった私が考え始めたのは「自分とは何者か」「自分の存在意義をどこに見出すか」なんてまさに自我を見出そうとすること。毎晩のように宇宙の中で自分が独りぼっちで放置されて、息も出来ずに死んでいく様子を想像して、背筋の凍るような思いをしながら寝ることもあった。

自分の輪郭を見出してからは、先生の輪郭を知ろうと、先生の考え方って何だろうと考えたものだ。
自我を探すことはとどのつまり、自分を理解するためだけでなく、他者を理解するためでもあったのだ。
少なからず、私の自我形成はバナブル先生によって進んだし、彼の問いかけの多くは相当にショッキングだったのは今でもはっきりと覚えている。


私の精神性がどうかはさておき、自我形成の過程はこれだけ鮮明に語れるだけ覚えてしまうほど考え続けた小生。

ただぬくぬくと育ってきた同年代よりかはよっぽど自分が見えている、というよりかは相手を見る癖がついてしまっている。

だからこそ、自分の輪郭が見えずにもがいている様子なんかは筒抜けに見えてしまう。その一方で輪郭が見えすぎて一周してしまっている人もまたわかる。
その人の態度なり、一挙手一投足なりが全てが有意に思える。それらが深い自我に依るものなのか、浅い自我によるものなのかが知られてしまえば、これほど気持ち悪いことは無いのかもしれない。
まあそんなこと思っても口にすべきじゃないし、胸にとどめておくべきだとは思う。
しかして誰もが「こいつしょーもな」なんて思う際は、そうした浅さに依るものであるものなのかもしれない。


私にやたら噛みついてくる後輩が何人かいるが、皆が皆クソガキ。
「私の何を知ってるの?」
って私に対して吐く感情的な台詞は、何も効く言葉じゃないんだわ。
別にお前のことをお前の口から聞かなくても、俺はお前のことを深く知っている。
それは卓球の試合で見せる細かな表情の変化、ミスの仕方から考察されて私の中で作り上げられた自「我」像があるからだ。
だからこそ、
「逆にお前は自分の何を知ってるんだ?なんでお前は泣いているんだ?」
っていったげたい…流石に言えなかったが。

すくなからず私が見くびられているのは癪に障る。

どれだけお前らを俺が注意深く見てきたと思うんだか。
どれだけ勝たせようとお前らを視界に入れてきたと思うんだか。
どれだけお前らを楽しませる為に考えてきたと思うんだか。

それらを直接伝えて「私が凄い」と思われて、報われようとやっているわけじゃないし、単に好きでやっている。
これまでの経歴を聞いて、輝くべき人間が、輝くべき場所で自分を見つけることが出来ればと思う純なお節介からだ。
その人の人生の糧になるようなことをし、その人が今後最高な笑顔を見せる瞬間の手伝いが出来ればいいと思っている。

彼らが私に投げかけた私を傷つけようとする言葉が、私が費やした時間に対する答えが、婉曲的に私への否定だと思うはずもないだろう。
本当にわかってるの?と聞いてしまっては野暮だし、そうしてしまっては私も同類となってしまうが、少なからず私が報われるべき人間で無いのは承知しているつもり。

なぜなら、彼らの為に私が考えた時間そのものがプライスレスだから。

彼らに与えたかったもの以上に、私が手にしたのは人を見る・考える目。

それを育てたのは間違いなく彼らだ。
だが皮肉なのは、私が彼らが本当に得て欲しいものを得ることができなかった代わりに、私の望む成長ができなかった彼らを叩くことになるのもまた、彼らが育てた私だったということ。

そういう意味でも私は、報われるべきではないのだ。
子を殺す親なんて、無慈悲だろう?



かなり前置きが過ぎてしまったが、
自我形成にどれだけ時間をかけて、どれだけ自分を見つめ返してきたかという経験はそのまま卓球の上達に直結するのではないか、というのが今回のテーマである。


「感覚→フォーム→感覚→・・・と焦点を繰り返し変えながら上達すればいい」

こう指導して実際に勝手に上手くなっているのは、完全といっていいほどに自我形成が済んでいる社会人経験のある後輩。

ただなんとなく勉強して医学部に入り、なんとなく多忙な日々を過ごしてきて自分をまだ見つけられていないタイプは、自分がどういう感覚でどういう運動をしているか内省しながら上達しようにも自分がわからない。
自問自答し、自分をフィードバックすることになれていないのだ。

感覚とフォームの視点切り替えは全く違うものを見ているように見え、その実共通点だらけである。

むしろ何が違い、何が同じかを探す作業をすることで、最小の運動単位を感覚とし、そこに様々な動作を加えてより理想のフォームを作っていく。
また、道中で最小の運動単位に戻り、さらなる小さな単位が無いか模索し、より切れ味のある感覚を探していくことが重要と述べても、この「一度出来上がったものを振り返る」という行為そのものがおおよそ自我形成の過程とほぼ同じようなものと考えている。



小さい時に「よそはよそ。うちはうち」とよく両親に言われたものだが、そうして自分と他者の境界を理解し、自分と他者の違いと常に考える癖がつけられるもの。

これが私が(というか誰もがそうだろうが)自我形成する上で最も大事だった手法の一つであり、自分を主軸に他者との違いを見つけようとするため自分への理解に割く時間は小さいころから多かったと思う。

これは一般に自我形成がすんでいる人ならば皆が通ってきた道だろう。
私が指導しているのがそれこそ30代、40代相手で自我形成できていないとなれば問題なのかもしれないが、まさにこれから社会を知ろうとしている学生相手に指導をしていて、「君たち自我形成ができていないぞ。だから上手くなれないんだ」と言ったところで、時期不相応なのかもしれない。
「いや、20代はもう大人なんだから自我ができていないとダメだろう」
なんて厳しくごもっともなことを指摘される方もいるだろうが、医学部って実際はそうでもない。
学生の中でも一番学生をできないところだし、小学生くらいに戻ったかのような束縛を入学から卒業までされ続ける。

しかし、人を診る仕事に就く人間が、学生のうちに自分が分からず医師になるというのはそもそもおかしいわけで、その辺の大学生なんかよりは進んで他者を理解できるようになる努力をしなければいけないはず。

実際周りの6年生と会話していても、自我形成できていない人間は数多くいる。
ただそうしたタイプも医療の荒波に揉まれ、自分を見つけていくのだとは思う。
如何せん明らかにできなそうで、ゆくゆくはドロップアウトしそうな人間もいるのだが(そういうやつ見るとほっとけない)




自分を見つけることは人生を進む上で必ずできることだとは思う。
だが見つけるきっかけに出会う機会を自ら減らしてしまったり、自分を見つけられない環境に自ら踏み入ることで、自分を見つけるタイミングが遅ければ遅いほど人生の楽しみを減らすことを意味するように思える。

私自身大学に入り自分の技術を磨くのに時間をかけることができたからこそ、自分を育てることで学んだ技術の習得手順を知ることができた。また、早くに多くの技術を身に付けることができたからこそ今後輩に色々な技術を教えながら技術研究をして卓球の新たな楽しみ方を見つけることができている。

そして、その知識を県内の上級者とシェアし、強者に還元することができるようにまでなれた。

自分を知ろうと思ったきっかけ、自分を磨く全ての始まりとなったのは小学生の時のバナブルの一言。



「あなたは自分の何パーセントを友達に知ってもらいたいですか」



社会に出てから、何の為にこんなことをしているんだでは遅い。
自分を自分以外が知ったかぶっていると思ってしまっては遅い。

卓球から学べることは、社会に出てから学ぶことに近いものもあると信じている。

卓球がメンタルスポーツだと言われる所以は、まさに上達に自他への高度な理解が問われるからだと解釈している。

言い換えれば、卓球は自分を知るスポーツ。

自分を知るから自分を強くでき、自分を知るから他者を知ることができる。

自我に従い自らを主観的かつ客観的に見て、自らの芯に基づき成長する。
その芯がより太く、その芯がより自分でわかるものであれば成長でき、かつ相手のことも見え、ついには対人競技としての全体像が見えてくるのではないだろうか。


さて、まだまだ自我ができていない、ちっぽけな読者に向けて問いたい。

君がなぜ強く罵られるか理解できたかい?
君を本当に理解している人間が誰なのかわかったかい?
わからないならしょうがない。ただわかっているのに蓋をして、それで泣きつく?
そんな人間の弁解をニコニコ聞きつつ、はらわた煮えくり返ってる人間の存在に気付けていないだろう?
ふざけるなよ



人は自分を理解している人間は怖い。
だがその裏には純な気持ちがあることを知るべきだ。
そのことに気付くのは、他ならぬ自分しかいないのだ。



また、最後に問う。



あなたは自分をどれだけ知っていますか。