張本くんの御両親のインタビュー記事 


最近ヤフーニュースを眺めていると金貰って文章書いているにも関わらず誤字脱字が多い記事や、明らかに本業じゃないような人が書いた下手くそな記事が多くみられる中、個人的にヒットしたのが上の記事。


なんともまあキレイにまとまっているし、張本くんの強さの秘訣が書いてある。


これを読めば、なるほど学習習慣があって勉強をしているから強いのか、と解釈できてしまうが、そこに敢えて物申したい。

勉強できるから強い、勉強できるから工夫できるというのは大嘘。
医学部の卓球見ていると明らかに頭悪い人や、何考えているかわからないくらいひどいものも多い。

この記事から見るべきは倉嶋さんの言う「創意工夫する」ところ。

張本くんは勉強して学んだことをただの知識として留めるだけに非ず、問題演習を通じて知識を「ツール」として使うことを習慣づけているのではないだろうか。

何を習うにしてもそれをどう生かすか、どう利用するのか考えながら聞くのか、ただそのままに鵜呑みにするのかでは全く意味合いが異なる。

卓球指導の時なんかもただ教えても身にならなくてイライラする指導者が多くいるのではないだろうか。

私なんかもかつてはその一人で、何でお前ら頭いいのにこんなことまで気が回らないんだと理解できなかったものだが、最近は考え方を変えて、創意工夫ができなくても受験で医学部位の偏差値のレベルまでなら簡単に入れるものなのだと改心した。
創意工夫ができる頭の使い方は、高偏差値の進学校で、勉強のできる超人達に囲まれ、勉強を頑張っていい大学に入っただけでは習得することは出来ない。
いや、勉強のやり方を工夫することに慣れていれば身に付けることはできるかもしれない。
ただ単に勉強ができるからといって、勉強ができる人みんながみんな頭が柔らかく創意工夫できるというわけではない。




頭がいい人、一定の価値観を持つ人だけに囲まれた現在とは違い、色々なキャラがいて色々なレベルの学力の人に囲まれていた小さいころを思い出せば、勉強ができなくとも創意工夫に長けたちびっこが数多くいた気がする。

それこそ、大体どこにも居る虫取り少年なり、ザリガニ捕りのザリガニ名人なんかは創意工夫の塊だろう。
ザリガニを捕まえようと自宅から半径2km以内の全てのドブを捜索し、その中でもライバルが少なく独占できるドブがどこか、天候で生息数が変わるのか等様々友達と議論したりと、教科書に無い試行錯誤を何度も繰り返し、最高のザリガニ入手手順を考察する。
それに引っ付いて一緒に捕まえるだけで楽に捕まえることが出来て楽しかったものだが、その考察を目の当たりにするだけで、考察手順の追体験が出来るし、創意工夫に近い感覚を得ることが出来たもの。

「勉強はできないが頭がいい」というのはとどのつまりは「正解の無い問題に自分の思う正解をぶつける」スキルを持っている人のことを言うのではないだろうか。


張本くんは小さいころから卓球をしているものの、卓球オンリーの卓球漬けの生活ではなかったようだし、家では中国語、学校では日本語と毎日が留学、毎日が言語学のトレーニングという一般家庭からすると明らかに特殊な環境で育ってきたよう。

その時点で試行錯誤の場が多数あったろうし、勉強のような型の決まった頭の使い方とは違う、柔軟性が求められる機会に恵まれていたことだろう。


話しがあっちこっちにいってしまったが、まとめると創意工夫のスキルが無ければ勉強以外のアイディア力が求められる物事においては上達し続けることは難しいということ。


創意工夫をしろと言われてもやり方がわからない、何をしたらいいかわからない人は、創意工夫をする現場に立ち会い、追体験すること。そして、その手順に論理性を見つけることができるようになるまで何度も反復する。

そうして同じような場面で、以前の経験に準じて創意工夫を実際にやってみる。
それで一度でも上手くいけば、自分でもできるといっていいのではないだろうか。



卓球の技術研究をしていても一人で息詰まることがあっても、動画で上手くいっているのを見て、それを真似して、それでも上手くいかなければその動画を他の人に見せて他の人にやらせて、動画とその人の違いはなんなのか考察して、それを元にまた自分でやってみてと、上手い人の真似+下手な人の真似(+間違い探し)の繰り返しでこれまで語られることが無かった真実が浮き彫りになるケースが多々あった。

この考え方も小さい頃の自由研究が元になっていた、なんて今頃になって思う。




ただ練習するだけでは上手くならない。
卓球以外の別の角度から、創意工夫の感覚を磨くことが大事。

張本君の御両親のインタビュー記事は考えさせられることが多い、良い記事でした。