(昨年七月ごろに下書きした記事。一度言っておきたいことだし、最後に加筆して掲載する。)

テストをこなしていく内に色々見えてくるものがあり、学生時代も終わりに近づいているんだなぁと思うところ。
一年生の時にはもう「早く卒業して-」と思っていたが、今も変わらない。
むしろ今の方が早く卒業したいと思うほど。学生時代をやり直すなら実習入る前の入学して3~4年目あたりでしょうか。他の学年はもう働いた方がいい。
そう思うにも理由があって、なんといいますか「享受する」立場として一番充実していたのがその時期。
何事も新鮮で、行動する時間も力もあった時期だし、何より教えてくれる人が身近にいた。

今何かを得ようとしても、大体が何かの焼き直し、新鮮さは感じない。
卓球をしていても普通にやっているよりかは、指導法や技術研究をしていた方が何かに気付くことはあるが、あくまでこれは「下の世代に施しをする目的」があってのこと。


何かを享受しようにも今はそうした立場にない。むしろ自分が「教える」立場。
多分後輩は気付いていないだろうが、私は「教える側」と「教わる側」の立場や経験の違いから生じる齟齬に関して悩みを抱いていた。


そう、教える側のビジョンと教えられる側のビジョンを寄せるのは難しいことだ。

例えば私がバックドライブを教えようとする。
まずはハーフボレーの設定をかける系に変え、それを台上で振れるようにし、チキータで待つ感覚を覚えさせてから対弱下へのバックドライブを教える。

少なからずこの手順は私としては鉄板だし、並のセンスさえあれば1時間あれば十分に習得させ、多球で7割安定させることは難しくない。
ただ安定して入ってきたところで、私と教えている後輩と意識の差異が出始める。

私「まずは安定してきた。あとは適応を広げる為によりフォームを洗練させていこう。スイングのサイズと待ち方をより細かく教えていこう。」

後輩「できた楽しい!」

うーん。。多分昔の私が今の私に習ったら、後輩同様楽しい!としたリアクションをして終わるだろうし、なんなら教えていてそんなリアクションを貰えれば満足なんだけど、せっかくだから実践レベルに昇華させて欲しいと思うところ。。

それもそのはず、試合で使えた時の方が何倍も楽しい。
試合で実際に使ってみてのその後のプランも私には一応あるわけで、「楽しい!!」よりも「試合で使えるように更にするにはどうしたらいいんですか!?」と聞かれたい気持ちでいっぱい。

しかし入って楽しいうちは何を言っても現実味が無い。
そう思った私は実践で使えるように経過をみつつ、「この練習やってー」と練習メニューを決めたり、自分の課題の時間にしれっと相手にさせたい練習をさせたりして知らず知らず実践向けに仕上げていく方針を取るのだが、十分な時間をかけて相手をしてあげないと私が望む水準にはならない。


多分、将来を見通してのビジョンの説明が足りないんだろうなと思い、よく言葉で今後上達した際のビジョンを話すのだが、如何せん卓球の見え方、試合中の意識が違うのもあってかなかなか重要性が理解されず、意識されることもない。
確かに10年前の自分が今の自分に色々言われたらちんぷんかんぷん、そんな未来の話をされてもなぁと思う。

知識量・経験に明らかな差があってしまってはお互いを理解するのは困難である。

しかし、今ここで諦めてしまっては今年しか一緒に卓球して教えられない状況だし、私に一生悔いが残る。

そこで最近教える際に意識しているのは「考え方の共有」である。
先を見据え、これまでの私の実経験に基づくつまづきやすい点を列挙して、その解決法を教えていくのではなく、私が解決に至るまでに用いた考え方、視点を理解されれば指導者がいなくなっても自分で上達することは可能なのではないか。私も誰かにちゃんと卓球を習ったことなどないし、自分で突き詰めて考えていくうちに気付いたことをブラッシュアップさせて技術を磨いていった。
このプロセスを理解されれば、私がいなくとも私がみっちり教えた時と同じ効果があるのではないか。


別に今すぐに未来形(ビジョン)を同一にしなくてもいい。それは未来の話。
今後時間が経つにつれ、卓球を続けているうちに考えるべき時に考えて自らで工夫をし、ただ打つだけでも考察が進むような理論、感性を教える。
私が推測するつまづくであろう局面で、理想とする結論やそれ以上の答えを自ら編み出せるようになること、これこそが教えるべき本当のことなのではなかろうか。


フランと卓球をしなくなって4か月弱、お互いに考える方向性の大筋は一緒のまま考察を深めている。


考察の本線を共有していたからこそ、それぞれの段階に応じた壁とその攻略法が理解できる。



さて、実際に「自分一人でも上手くなることができる感性と考え方」をどう伝えるかが問題となってくる。

なかなか端的なものは見つからないが、やはり言葉の定義付けを細かく行い、多くの言葉を持って理解された方がいいのではないかと考える。

例えば、先日Xia氏の動画にて「ラバーで飛ぶという表現はやめてくれ。ラバーが飛ぶというのは二種類ある。」みたいなことを言っていたが、それに対し「言葉のニュアンスの問題だろ」というコメントがあった。
一見して普通のコメントに見えるが、言葉のニュアンスを理解して使うのと、理解せずに使うのとでは何をするにも差が生じる。

それこそ「サーブをする時に手首を使う」という表現を、このブログやフランのブログの読者であれば「手首のどの方向の運動を使うの?」「ああ、橈屈、尺屈の方か」等と理解して使う。
何も知らずに手首を使っていては、ボールコントロールはおぼつかない。
なんなら「手首はつかわない方がいい」信者になりかねない。
サーブなんかはどっちもどっちで使われているが、言葉の意味を知らないだけで上達のチャンスを狭めてしまう。

そういう意味で全ての技術、全ての戦術をまず適切な言語化をし、その一つ一つのシナジーを見つけていく作業をしていくことが重要なのかもしれない。

「ツッツキでこうしたってことは、他の技術でもこうなのでは?」

という風に、新たな発見をすることが自分でできるようになることが、より上手くなる秘訣なのだろう。

↑以上までが昨年七月までの下書き内容。
↓以下が最新

医学部の部活と、より閉鎖的で密に接することが出来た環境下では上記のような内容は可能であった。
・・・聞き手のクオリティーは納得いかないものではあっても。

今私が卓球をしている環境下においては、いくら上手くしてあげたくても一人にかけることが出来る時間は僅かに10分~15分。

「密度のある練習」をすることよりも、「多くの人間と打つこと」に重きを置いており、1つの組み合わせを5分で回すとか、練習の意義がまるで分かっていない代表が指揮するクラブ
といっても、私が指摘するのもどうも筋違いだから静観しているところ

加えて1ゲームマッチに練習時間の3分の1程度割いているのだから、そのゲーム中に何か教え無ければいけない。

本来は非言語的指導(いわば感覚)から入り、それを知っているか、自覚できているかを確認した後に、より原理的なところから解説し、覚えることが出来るように丹念に多球練習をさせてあげたいが一球練習が主流となればそれも難しい。

そんな中で如何にして指導をするかとなれば、現実的な技術指導はまずあきらめざるを得ない。
といっても休憩間近のタイミングで休憩せずにサーブイップスの子(出てはいけない場面でサーブが出て打ちこまれてから、短いサーブが出せなくなり、空振り・ラケット角に当たることが増えてしまった子)に、
サーブイップスに悩むあなたに「サーブイップスを治療した一例」
短い下回転にしかならない条件の考察(過去記事に書いたはずが見つからないので今度記事にする)
の二点を教え、考え方を理解して貰い、初めよりは症状が軽快するまで至ったが、これはボールが不必要だし、相手も20歳と言うことがあって簡単だった。

小学生~高校生辺りをターゲットに教える時はどうするべきか。

まず新しい技術を教えることは不可能に近い。
であるならば、新しい技術を自然と開発するに至るだろう考え方を、一緒に考えさせることで教えることをしようと

例えば、クロスにしか強打が来ず、ガラガラのストレートを狙ってこない子がいたとする。
「ストレートへの強打の有効性と、ストレート強打の打法を教えたい。
だが、時間が無くて教えることが出来ない」
この時、まずは1ゲームマッチでぼこぼこにすること、こちらからストレートでぶち抜いてあげることがまず必要だろう。

教えたい内容が如何に強いかを教えることだ。
強ければ使おうと思うし、強く無ければ使えない。

そうして魅せつけた後に、「フォアストレートの打ち方とその効能」をあっさり教える。
要点も絞って2分くらいで解説すると、まだまだ飲み込みが速い学生さんだけあって、次の週には出来るようになっているもの。

そして次週の露骨なストレート攻めに晒されるが、相手のボールの質に依っては打てる打てないがあることを教えてあげる。
チャンスの場面を演出して打たせてあげる。
綺麗に打てたら次は臭いボールで打たせない。
二つの分岐を知ったところで、次は全て打たせないようにする。
そうしてボコボコにされたことで、「何故打てなかったか」疑問に感じる。
そこで、フォアストレートを打つまでの展開作りの重要性を説く
その為のミドル攻めの有効性を教えるわけだ

こうしてゲームを重ねる中でも、多少時間はかかるが要点を絞って、新技を習得し、使いこなせるまでのアプローチを指導することは可能と考える。
次回打った時に、練られたコース取りをして貰えるとありがたいが…

こうして、新しい技を習得した時、それが使えるようになる条件が自然と頭に入るよう、予め考えた上で教えていくことで新技を覚える為にいくらかステップがあったことを経験することが出来る。

卓球において技を使うための考え方は以下の二つしかない。

ひとつは、上記のような一つの技を使う為にどういう分岐があるのか、技を終着点として逆行性に考えていくやり方。
もう一つは、サーブから全ての分岐を樹形図的に洗い出すやり方。

理系の考え方としてはどちらも使うだろうし、文系の考え方としては小論文を書くときなんかはどちらも使うためオトナになればどちらも自然と使える考え方だろう。

しかして、結果から逆算して考えるというのは意外と高度で、主要五科目の勉強を振り返っても見れば、数学ぐらいでしか使わないし、数学も大学受験をしっかりする層でなければ、結果から組み立てるタイプの問題を解ききることは難しいだろう。

それ故に、卓球で教えるべき考え方はなかなか実につかないだろう結果から逆行性に方法を考える方法で、その経験を体感的に繰り返していくことが出来れば、結果を目指して考える順行性の考え方にも繋がるだろう。

こうした順行性、逆行性の考え方に親しみを持つことは、試合中に最もされたくないことを避けながらまあまあされたくないことをされるような、リスクヘッジも可能となる。

指導する時の考え方を練ることが出来れば、試合観と言うのも自然と身についてくる。(といっても私はそうだっただけかもしれないが)

指導する際に、どういった考え方で教えるかを明確に意識することは、技術指導が円滑に進むだけに非ず、その人の思考力を養う一助となる可能性がある。

まとめ
細かい話かもしれないが、齟齬がある時、物事の考え方に順行性か、逆行性かの得意不得意があるのかも