※ネタ記事
恋しちゃったんだたぶん、気付いてないでしょ?
―――――――絶対それ気付いていないから、、、
現実ってのは大方そんなもの。
こんなね、一方的で支配的なものの見方で勝負できるのかと。
いや、いいんだよ?別に、自分のロジックとして相手から見られていることがプラス評価だと断言できるならね?
仮に
シチュエーションを想定するなら、
自分(♂)
・部内で6番目に強い
狙うは部活の先輩or後輩(♀)
・ぼちぼち打てる
A.狙う相手に見られている感じがする。それに目が合っても目線が外される。
=意識されているから見られていて、それに目線があうと相手は気付かれまいと目線をそらす
B.こっちから話しかける分には話しが弾むけど、向こうから話しかける時には何か用事が無ければ話されない。
=相手は話したいんだけど、会話の糸口が無くて話しかけられない。緊張している
以上A、Bから脈ありと解釈し、皆さんは勝負しますか?
私であれば、絶対に勝負しません。間違いなく、「ごめんなさい」でしょう。
露骨に拡大解釈してみたが、
Aを普通に解釈するなら、
自分の相手が部内の3強、ラリーがいっぱい続いてはた目からみて参考できそうな感じ。
自分より上手い人が上手そうにプレーしてたらみるのは当然。
目線が外されたのはもともとあまり目線を合わせてくるタイプの子では無かったから。
Bを普通に解釈するなら、
そもそも本当に用事が無い。ただ会話に付き合ってくれていただけ。
ほらー
自分がいいようにバイアスをかけると物事ってどんどん見方が変わってくる。
私が本気で自分に良いように解釈すればもっと微細なことでも自分にプラスに見えるように理屈を付けられる。
そうして他人を煽りに煽り、これは失敗するだろう、でも優しい言葉なり謎の格言を引き合いにだし、勇気づけて勝負に送り出す。
しかしなぜだろう、大方成功してしまう。キューピッドか。
そんなスキルがあるにも関わらず、自分のこととなるとなかなか考察通りに物事は進まない。
こうした、自分の認識通りに物事が上手く進むかどうかは、そのことをするにあたっての根拠の正当性に依存する。
自分にとってどれだけ正当性があるものなのかではない。それが第三者から見て正当性があるものなのか、対人の場合は、相手にとっても正当性があるものなのかが重要である。
この問題提起の為にあえてくさい話を持ち出したのにはわけがある。
自分で言うのもなんだが、頭が小学生並みに柔らかい私はこれまで書いてきたように取ってつけたような理論やら考察やらをポンポン思いつく。
なんでこんな新出の卓球ネタを出せるのかと言えば、普段から大喜利めいたことをしては、笑いをとるより滑っているからに他ならない。
試験期間中のストレスを、よくやる大喜利で晴らし、それを題材に無理矢理卓球ネタに繋げるよという意思表示。
今後、例えが例えられていないシリーズというタグでネタ記事を書いていくが、是非とも気にしないで「疲れているんだな」と思って頂きたい。一応卓球ネタに仕上げ、なんなら推敲までするモチベはある。
さて、本題に移ろう。
卓球の話にシフトする。
要は「自分が取りたい選択肢が本当に効くか」という問いに答えを出すなら、「客観性のある根拠」が必要不可欠である。
この「客観性のある根拠」をどうやってあつめるか、というのが試合中の課題であるのは言うまでもない。
例えばどんなサーブを出すか。
流石に自分が出したいサーブをなんとなく出し続けても有効性は無い。
出すならば出すなりの理由が無いといけない。
三球目が得意なら三球目が打てるサーブだろうし、相手が三球目をさせないレシーブをしてきてるなら、そのレシーブを封じた上でのサーブを考えなければいけない。
三球目打てそうなサーブ。良いレシーブきた。
↓
ここで三球目を上手くできました。
あいては上手く返してきました。ラリーで負けました。
これってどうなん?
もうサーブのくだり要らなかったよね?もうこんなん劣勢だよね。
結局は自分が三球目得意だから三球目打てるサーブ~みたいのも、相手の受けの強さを考慮していない時点で、あくまで主観的根拠。サーブの正当性は無い。
誰がどう見ても明らかにこれは自分が優勢だ、と言い切れる展開を作るサーブはなんだろう?
それこそ相手の得意技術を見ていかなければわからない。
ここで情報を付加しよう。
「相手は長いサーブが来たら必ずバックでかけてバックに送ってくる。しかしそのボールをストレートに返すと、強いボールは返せない。大方ミドル~フォアに返球されるが、割と浮いていてチャンスボール。それをミドルに叩くと相手は処理できない。」
ここで、きっちりミドルに叩けるならば、長いサーブを出してそれ以後の展開を作っていった方が点数は取りやすそうだね。
自分の得意武器「三球目」をせずとも、自分優位の展開を作ることができる。
三球目を打てず、主観的優位性は無くとも、客観的優位性は保てている。
しかし、試合中に、それも三球目が得意な選手が三球目をせずにこうした選択肢を安定して見つけることができるだろうか。
まず、基礎的な考え方として、以下の記事を参照されたい。
フラン:51%理論
ちょっと数学をかじった人ならすぐさま理解できる考え方。
試合中に、卓球を「確率ゲー」と割り切り、試行回数を稼ぎにいけるタイプでなければ理解されないかもしれない。
しかし、明らかに展開負けしている状況で、自分が一番入る技術で点数を失い、そのまま負けた際に「相手がつよかった」で済ますような人間は、勝つ気無いでしょう?
そんなふとどきものがいたら、即刻ブラウザバックして、水谷対シュシンのリオオリンピックでの伝説の一戦、またみうちゃんのインタビューをいっぱい見てきなさい。
卓球は駆け引きの要素が非常に強いゲームです。
少なからず、私とフランともども「卓球は確率ゲー」と出会ってから6年間言い続け、私はシェーク裏裏、フランはペンパチでロマン砲での得点と、粘るプレーで点数を取るバランスを議論し続けた。
バランス感覚に関しては相手によるとしか言えないが、粘っていい場面、ハイリスクな卓球で点数を取りに行く場面は明確に存在する。
ただその辺を理解するには大方のパターンを自分で試してみなければわからない。
将棋星人とも呼び声高い羽生先生は、割と冒険する。
その場では優劣がわからない奇手から鮮やかに勝つこともあれば、劇場型な策に出て失敗したり。
一方で格調高い一手を放ち、鬼畜眼鏡にぴったりの堅い打ちまわしもしたりする。
勝負していい場面、悪い場面を学ぶ為にあえてわからない択を取ったり、そうした経験があるからこそ見せることができる切れ味のある一手もある。
先の例示でもそう。
三球目というミスの確率もあるが、得点も狙えない戦術を「じぶんがやりたいから」という自己中心的な理由で狙ってサーブを考えていては負けてしまう。
逆に点数が取れる戦術を「客観的に優位だから」狙ってサーブを考えれば得点期待値はぐんと上がる。
勿論ロングサーブを出せば高く浮いたら打たれるかもしれない。ただ、それすらも凌駕するリターンがあるならば、出さない手は無い。
そして、この「客観的に見る」際には「確率的に」考えるべきである。
サーブミスの確率、サーブが浮き相手が打って入る確率、自分が五球目で得点するまでに自分がミスする確率、五球目できっちり決められる確率など、これらを総合して、そのサーブが良いか悪いかを考える。
こうして、客観的に見る為には、「なるたけ多くのチェックポイント」を設けなければならない。
卓球技術に関する提言を多々しているが、私の正当性を主張したい際は私自身なるたけ多くの関節を使えないか、理論はないかと考えるようにしている。(そのせいで複雑になるが、、、)
少なからず、試合をしていて嫌だなと思う選手は、大方6割程度入るが、確実に点数になる技術を持っている。
その技術を封じにいった際、相手が対応をしてきて、それに対しての対応をしてと積み上げていくことで、ようやく卓球は頭脳戦としての側面が見えてくる。
となれば客観的に見れる素材は必要ですよね?
また、そもそも自分の卓球を自分本位に主観的に考えていたり、つなげる信者であっては話にならない。
現状でどうしようもなく勝てない相手が来たとき、どうしようもなく負けることになる。
誰とでも勝負するためには、臨機応変な確率ゲー卓球を身に付ける必要はあるだろう。
まとめ
今回は客観視の重要性を説いた。
私自身客観的に見て試合を勝った時の方が多いし。
ただ、4、5年前はそこまで客観的に見ることの方が少なく、主観的にごり攻めしていたが、格上とも全然勝負できていた。
それもそのはず、最強の矛の確率だけしか見ない自己中心的な確率信者。
自分の一撃の得点確率が上がるまで殴り続ける理不尽な卓球でしたもの。
何でもかんでもフルスイング。
客観視は大事だけど、別に組み込まなくても「理不尽な攻撃」からは逃れられない相手も多い。
ただそれが通じなくなった時が最悪。
そりゃそうでしょ、「好きだ」と言い続けて落とした相手が、気付けば押しに慣れて塩になったら、浅い人間だと解釈し始めたらどうする?
利己的で支配的な選択は、何かほころびが生まれたら最後、通用しないものになることが往々としてある。それが上手く機能するためにはそれなりの深み、研究筋が無ければならない。
かくいう私もプラボールになってから考え方がガラッと変わった。
理不尽さは捨てて、対応と対策に時間をかけた。そして、去年の冬くらいに、客観的に見て「理不尽さ」が必要だという結論に。
そして、最近になって理不尽さを取り戻した。
だからこそ言える、本記事の結語。
「確率的に誰にでも優勢を取れる理不尽な戦術が一つでもあるならば、理不尽を極めた方がいい。」
恋しちゃったんだたぶん、気付いてないでしょ?
―――――――絶対それ気付いていないから、、、
現実ってのは大方そんなもの。
こんなね、一方的で支配的なものの見方で勝負できるのかと。
いや、いいんだよ?別に、自分のロジックとして相手から見られていることがプラス評価だと断言できるならね?
仮に
シチュエーションを想定するなら、
自分(♂)
・部内で6番目に強い
狙うは部活の先輩or後輩(♀)
・ぼちぼち打てる
A.狙う相手に見られている感じがする。それに目が合っても目線が外される。
=意識されているから見られていて、それに目線があうと相手は気付かれまいと目線をそらす
B.こっちから話しかける分には話しが弾むけど、向こうから話しかける時には何か用事が無ければ話されない。
=相手は話したいんだけど、会話の糸口が無くて話しかけられない。緊張している
以上A、Bから脈ありと解釈し、皆さんは勝負しますか?
私であれば、絶対に勝負しません。間違いなく、「ごめんなさい」でしょう。
露骨に拡大解釈してみたが、
Aを普通に解釈するなら、
自分の相手が部内の3強、ラリーがいっぱい続いてはた目からみて参考できそうな感じ。
自分より上手い人が上手そうにプレーしてたらみるのは当然。
目線が外されたのはもともとあまり目線を合わせてくるタイプの子では無かったから。
Bを普通に解釈するなら、
そもそも本当に用事が無い。ただ会話に付き合ってくれていただけ。
ほらー
自分がいいようにバイアスをかけると物事ってどんどん見方が変わってくる。
私が本気で自分に良いように解釈すればもっと微細なことでも自分にプラスに見えるように理屈を付けられる。
そうして他人を煽りに煽り、これは失敗するだろう、でも優しい言葉なり謎の格言を引き合いにだし、勇気づけて勝負に送り出す。
しかしなぜだろう、大方成功してしまう。キューピッドか。
そんなスキルがあるにも関わらず、自分のこととなるとなかなか考察通りに物事は進まない。
こうした、自分の認識通りに物事が上手く進むかどうかは、そのことをするにあたっての根拠の正当性に依存する。
自分にとってどれだけ正当性があるものなのかではない。それが第三者から見て正当性があるものなのか、対人の場合は、相手にとっても正当性があるものなのかが重要である。
この問題提起の為にあえてくさい話を持ち出したのにはわけがある。
自分で言うのもなんだが、頭が小学生並みに柔らかい私はこれまで書いてきたように取ってつけたような理論やら考察やらをポンポン思いつく。
なんでこんな新出の卓球ネタを出せるのかと言えば、普段から大喜利めいたことをしては、笑いをとるより滑っているからに他ならない。
試験期間中のストレスを、よくやる大喜利で晴らし、それを題材に無理矢理卓球ネタに繋げるよという意思表示。
今後、例えが例えられていないシリーズというタグでネタ記事を書いていくが、是非とも気にしないで「疲れているんだな」と思って頂きたい。一応卓球ネタに仕上げ、なんなら推敲までするモチベはある。
さて、本題に移ろう。
卓球の話にシフトする。
要は「自分が取りたい選択肢が本当に効くか」という問いに答えを出すなら、「客観性のある根拠」が必要不可欠である。
この「客観性のある根拠」をどうやってあつめるか、というのが試合中の課題であるのは言うまでもない。
例えばどんなサーブを出すか。
流石に自分が出したいサーブをなんとなく出し続けても有効性は無い。
出すならば出すなりの理由が無いといけない。
三球目が得意なら三球目が打てるサーブだろうし、相手が三球目をさせないレシーブをしてきてるなら、そのレシーブを封じた上でのサーブを考えなければいけない。
三球目打てそうなサーブ。良いレシーブきた。
↓
ここで三球目を上手くできました。
あいては上手く返してきました。ラリーで負けました。
これってどうなん?
もうサーブのくだり要らなかったよね?もうこんなん劣勢だよね。
結局は自分が三球目得意だから三球目打てるサーブ~みたいのも、相手の受けの強さを考慮していない時点で、あくまで主観的根拠。サーブの正当性は無い。
誰がどう見ても明らかにこれは自分が優勢だ、と言い切れる展開を作るサーブはなんだろう?
それこそ相手の得意技術を見ていかなければわからない。
ここで情報を付加しよう。
「相手は長いサーブが来たら必ずバックでかけてバックに送ってくる。しかしそのボールをストレートに返すと、強いボールは返せない。大方ミドル~フォアに返球されるが、割と浮いていてチャンスボール。それをミドルに叩くと相手は処理できない。」
ここで、きっちりミドルに叩けるならば、長いサーブを出してそれ以後の展開を作っていった方が点数は取りやすそうだね。
自分の得意武器「三球目」をせずとも、自分優位の展開を作ることができる。
三球目を打てず、主観的優位性は無くとも、客観的優位性は保てている。
しかし、試合中に、それも三球目が得意な選手が三球目をせずにこうした選択肢を安定して見つけることができるだろうか。
まず、基礎的な考え方として、以下の記事を参照されたい。
フラン:51%理論
ちょっと数学をかじった人ならすぐさま理解できる考え方。
試合中に、卓球を「確率ゲー」と割り切り、試行回数を稼ぎにいけるタイプでなければ理解されないかもしれない。
しかし、明らかに展開負けしている状況で、自分が一番入る技術で点数を失い、そのまま負けた際に「相手がつよかった」で済ますような人間は、勝つ気無いでしょう?
そんなふとどきものがいたら、即刻ブラウザバックして、水谷対シュシンのリオオリンピックでの伝説の一戦、またみうちゃんのインタビューをいっぱい見てきなさい。
卓球は駆け引きの要素が非常に強いゲームです。
少なからず、私とフランともども「卓球は確率ゲー」と出会ってから6年間言い続け、私はシェーク裏裏、フランはペンパチでロマン砲での得点と、粘るプレーで点数を取るバランスを議論し続けた。
バランス感覚に関しては相手によるとしか言えないが、粘っていい場面、ハイリスクな卓球で点数を取りに行く場面は明確に存在する。
ただその辺を理解するには大方のパターンを自分で試してみなければわからない。
将棋星人とも呼び声高い羽生先生は、割と冒険する。
その場では優劣がわからない奇手から鮮やかに勝つこともあれば、劇場型な策に出て失敗したり。
一方で格調高い一手を放ち、鬼畜眼鏡にぴったりの堅い打ちまわしもしたりする。
勝負していい場面、悪い場面を学ぶ為にあえてわからない択を取ったり、そうした経験があるからこそ見せることができる切れ味のある一手もある。
先の例示でもそう。
三球目というミスの確率もあるが、得点も狙えない戦術を「じぶんがやりたいから」という自己中心的な理由で狙ってサーブを考えていては負けてしまう。
逆に点数が取れる戦術を「客観的に優位だから」狙ってサーブを考えれば得点期待値はぐんと上がる。
勿論ロングサーブを出せば高く浮いたら打たれるかもしれない。ただ、それすらも凌駕するリターンがあるならば、出さない手は無い。
そして、この「客観的に見る」際には「確率的に」考えるべきである。
サーブミスの確率、サーブが浮き相手が打って入る確率、自分が五球目で得点するまでに自分がミスする確率、五球目できっちり決められる確率など、これらを総合して、そのサーブが良いか悪いかを考える。
こうして、客観的に見る為には、「なるたけ多くのチェックポイント」を設けなければならない。
卓球技術に関する提言を多々しているが、私の正当性を主張したい際は私自身なるたけ多くの関節を使えないか、理論はないかと考えるようにしている。(そのせいで複雑になるが、、、)
少なからず、試合をしていて嫌だなと思う選手は、大方6割程度入るが、確実に点数になる技術を持っている。
その技術を封じにいった際、相手が対応をしてきて、それに対しての対応をしてと積み上げていくことで、ようやく卓球は頭脳戦としての側面が見えてくる。
となれば客観的に見れる素材は必要ですよね?
また、そもそも自分の卓球を自分本位に主観的に考えていたり、つなげる信者であっては話にならない。
現状でどうしようもなく勝てない相手が来たとき、どうしようもなく負けることになる。
誰とでも勝負するためには、臨機応変な確率ゲー卓球を身に付ける必要はあるだろう。
まとめ
今回は客観視の重要性を説いた。
私自身客観的に見て試合を勝った時の方が多いし。
ただ、4、5年前はそこまで客観的に見ることの方が少なく、主観的にごり攻めしていたが、格上とも全然勝負できていた。
それもそのはず、最強の矛の確率だけしか見ない自己中心的な確率信者。
自分の一撃の得点確率が上がるまで殴り続ける理不尽な卓球でしたもの。
何でもかんでもフルスイング。
客観視は大事だけど、別に組み込まなくても「理不尽な攻撃」からは逃れられない相手も多い。
ただそれが通じなくなった時が最悪。
そりゃそうでしょ、「好きだ」と言い続けて落とした相手が、気付けば押しに慣れて塩になったら、浅い人間だと解釈し始めたらどうする?
利己的で支配的な選択は、何かほころびが生まれたら最後、通用しないものになることが往々としてある。それが上手く機能するためにはそれなりの深み、研究筋が無ければならない。
かくいう私もプラボールになってから考え方がガラッと変わった。
理不尽さは捨てて、対応と対策に時間をかけた。そして、去年の冬くらいに、客観的に見て「理不尽さ」が必要だという結論に。
そして、最近になって理不尽さを取り戻した。
だからこそ言える、本記事の結語。
「確率的に誰にでも優勢を取れる理不尽な戦術が一つでもあるならば、理不尽を極めた方がいい。」
コメント