うえっ考察をしようと目に入ってきたこの動画。
なかなかに衝撃的。
爆発していた吉村がそのままファンボーを食いかけた。
試合を総括すれば、ラリーで勝ててたし、サーブレシーブでも優勢を保てて、要所でもきっちり攻めにいけた吉村。
しかし勝ちを意識した吉村は繋ぎにいき、その繋ぎのレベルがファンボーに通じるものではなかった。
無理にでも攻めようという意思があったのかフリックなどで台上から攻めようとするが、安定せず。台上で繋ぎからの展開ではアドを取れなくなる。
一方ファンボーは負けそうになってからフォアを振り頑張る卓球に。
繋ぎにきた吉村のボールに対しフォアで振り、フォアを攻める姿勢は攻守のバランスが消えた吉村に非常に重い戦術だった。
開き直ってチキータからの展開を本線としてからは互角、だがチキータをカウンターする技術はファンボーの方が上だったのか。
さて、この試合の勝敗を分けたのはなんだったのか。
前も引き合いに出したかもしれないが「銀と金」なんかで、というか色んな作品で効かれる言葉がある。
それは
「無謀と勇気は違う」
人は楽になりたいと勝負したがる。
小さいながらの勝ちを掴むためという口実に、負けるかもしれないという恐怖から逃れるために勝負をしたがる。
勝負をするまでが一番怖い。
これに関してはなんだって同じだと思う。
一年の浪人がかかる大学受験、脈があるかなしかでいえば無しな感じの女の子への告白、団体戦の勝敗が決まるラスト。
全ては勝負をするまでが怖い、だが実際に勝負が決まってしまえば腹をくくる。
これらを読むと、この勝負をすると決め、勝負をすることが「勇気である」と思われるかもしれないが、これは大いに誤解である。
勝負をしなければいけない場面で勝負をするのは、既定路線でしかない。
本質はその勝負の中でどういった選択肢を取るのか。
残り5分で見直すのか、それとも解けていない難問に挑むのか
脈なしだが経過を見て勝負できる材料を探すのか、特攻するのか
粘ってチョリチョリするのか、サーブを目先のコロコロ変えて点数を取るのか
例示して三つの中で、状況次第でどれが「勇気」でどれが「無謀」かは変わる。
ただ言えるのは、「勇気がある」とは勝つ為に策略をもって行うことに対して用い、「無謀である」とは勝ちが見えないことにやみくもにつっこむということであるという認識を持つ持たないでその勝負が勇気のあるものなのか無謀であるものなのか変わってくるということ。
ギャンブルなんかは天運に身を委ねるものとして一般的に無謀であるが、きちんとしたセオリーがあればそれは勝負できる、勇気をもった勝負ができるものに変わる可能性がある。
少なからず、人生において完全なギャンブルというものは完全確率に基づくものでなければ存在しない。
大方きちんとした道筋を立てて勝負をすることができるものばかりだ。
勿論、筋を探す段階で勝つことが不可能とわかることもあるかもしれない。
そこで逃げるのもまた勝ちと捉える考え方もあるだろう。
話を戻すが、今回の吉村の卓球はマッチポイントを握った時に限り、「無謀」なものだった。
ミスの仕方とミスをした時のリアクションを見ていればわかる。
ミスをしてのオーバーリアクションは実は「ホッとしている」ものなのだと。
いち早く苦しい勝負から逃げたかったのだ。それも攻撃的な手順でスキップして。
こんなことを書けば「中国人相手にあそこまでしないと点数は取れない」なんて言われるかもしれない。
しかしこれまでの吉村の得点を見ても、ファンボーの状態を見ても、一度落ち着いたループドライブで展開を作ってから強いボールを打った方が相手方も強いカウンターをまけるかもしれない場面で狙ってくるタイプでも無いわけだから、十分に勝負できたはず。
ファンボーの最後の点数もラリー中にストレートを狙うという、吉村の一発豪快どごーんよりもLowリスクで、それでいて点数を取ることが簡単な技術を用いている。
こうした工夫がまだ吉村はできないのではないか。
しかしてファンボーに勝てるとなれば誰もが浮足立つだろう。
あの場面で「無謀」ではない、「勇気」あるプレーができるようになった時
吉村が旋風を巻き起こすにちがいない
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