常識と書けば何となく「誰もがもつ正しいもの」という風なイメージだが、実際のところどうだろうか。

これまで私はまともに卓球を教わったことがあるのは、中学3年間の部活やクラブの指導者、大学の先輩からくらいだが、具体的に突き詰められて教わったことや怒られながら教わったことは無い。
私自身の性格としてふんわりとしたイメージで教わるのは好きでは無く、至極一般的なことを教わり、そこからふんわりとしたイメージを派生させて勝手に練習していくタイプであった為、至極一般的なこと(どういうスイングでどういう回転がかかるかとか、三球目は大事だとか)を習えば自然と指導者が直さないようなスタイルになっていった。

本当に当たり前すぎて常識とされるようなことしか聞いていなかったが、今になって思えばそれは本当に正しいのか、理詰めで考えていけば多少の矛盾点は見つけられたのかもしれない。
そこで違和感を感じ取ることができたならば、今の卓球も違うものになっていたのかもしれない。
しかし、当時は疑念を持てるほどの感性も無ければ考え方も知らなかった。

今回考えていきたいのは教わったことを理詰めで考えていくにはどういう手順でいけばいいのかということ。

感性がものを言うものは同じ感性を持たない限り、大方
「わかんないよ」
の一言で片付いてしまう。


例示として最高に当てはまるのが上記動画であるが、厨ニ病は本当にわからない人にはわからない。北欧神話とか新世紀とかわかんないし、力が強すぎて制御できないなんてただの間抜けじゃんなんてそれはそうだ。
理で語るならこの反論は大正解。
主人公は理で物事を考えていない、自分の感性で感じとったことを素直に「厨二はいい」みたいなことを言う。

以前私が某著名人(つっても一人か)にストップを習った際のこと。

多分前も記事にしたと思う。

「キョウヒョウ使っているのにストップ浮くんですか?」
と若干煽られたりしたが、ストップをする際はとにかく打点を早くすることと、低いところで触ることを意識するようにと言われた。

なるほどな、確かにそうだな、当たり前だと思いその場では普通にできたが、時間が経つに連れ例外が生じてくることに気付く。

というのも打点が早いことと低いところで触ることは常に両立できることではないということだ。
打点が早い=頂点前と捉えるならば、頂点前の弧線を更に3等分した際、前1/3、中1/3、後ろ1/3それぞれのどこを狙うのかで話は変わってくる。
前1/3を狙うならばボールの跳ね上がりで一番垂直方向のスピードが乗っているわけで下から合わせにいけばラケットの上半分に当たりやすい。
後1/3であれば下から合わせにいくのは簡単だが、それがネットより高いならストップの飛距離は出なくても浮きやすい。
また、ラケットのどこに当たるかでも飛距離が変わってくる。
後ろから前に突っ込んでストップするならば、ラケットの下半分に当たる方が飛距離が出やすいし、上半分の方が飛距離は出にくい。

ただ打点を早くし、低いところで触れば低くて短いストップが出るわけではない。
前方向のベクトルを消すことも重要となってくる。
そのためのストップの方法を以前から述べているが、少なからず、いいストップが出る条件はひとつふたつではない。複数の物理的要素を絡め総合していいストップがなりうる。

打球点を早くしつつ、低いところで触りやすくすることを目的にするのではなく、これらからいいストップになるような条件を探すことの方が重要であった。

指導して頂いてしばらくした時、私が見つけた答えとしては、
いいストップを作る条件は「ボールの飛距離を消す為に前方向の力を無くすこと」「ボールとラケットの位置エネルギーを等しくし、上下方向のベクトルを加えずに低い位置でインパクトをすれば低くなる」とし、方法としては「ラケット下半分に当たるようにラケットを動かすが、軌道の中1/3当たりで触ること」であり、妥協案としてはベスト、それでいて安定しやすかった。

ストップの常識の本質を実験的に調べて見なければこうした矛盾には気付きづらいだろうし、アドバイスを満たすことが目的とならないようにすることは重要であるといった一例。

それ以後、横をこするとか、高島さんの卓球王国記事の丹羽式ストップを回内・回外で考察しなおしたりとか色々派生していったが、全てにおいて前述のストップの低くなる条件を原理原則として設定したことが正解だった気がする。


常識を疑うにあたり、私はまず技術毎に求める品質を最小単位で言語化(低くてとばない等)と条件付け(AとBを満たせば上手くいく等)から入った。
そうした条件付けの要素をよくある常識が満たしているならその常識は信じるに値する。
もし違うならば表現自体を変えるべきだし、同じことを今後言わないようにしてきた。

こうした求める技術をこまぎりに言語化する方法、各アドバイスも同様に細かくして考える思考法は、3Hitなんかを推奨する辺りからして明らかかもしれないが、その他の技術にも応用できる要素を見つけるのに有用だったりする。

少なからず、ストップの条件はそのままループドライブのカウンターに応用もできたりする。
一つの技術で二度美味しいし、どの技術にもつながりがあるのではないかと試行錯誤することで、一つの知識から全ての技術躍進に繋がることもザラにある。



まとめとして、
指導されたことをそのまま鵜呑みにせずに一度立ち止まって細かく切り刻んで考えてみることを推奨する。
有名指導者だからといって鵜呑みにせず、一旦考察する。合っているけど間違っていたり、その人でなければ成り立たないようなとんでも理論を言っていることは多分にある。
私が教える場合は必ずあらすじ→こまぎり→要旨みたいな形で教えるようにするが、教えて上手くできない人に限ってあらすじだけを覚えているタイプが多い。
つまりは一般的な指導法の部分のみを覚えるから、再現性もなければ本質もつかめないでいる。

ひとつの技術が細かいポイントの集合体として成り立ち、ポイント一つ一つにシナジーが無ければ使える技術にはなりえない卓球においては、大は小を兼ねるという諺を信じてはならないのだ。

大は小を兼ねるが、大だけでは小のシナジーに気付くことはできない。
小が多くあるからこそ大なのだという意識が上達の近道である。


さて、よくある指導法や常識は「大」の部分だけではあるとお気づき頂けただろうか。
真に迫るは「小」の解読、常識の真の意味を知るは小を知ることである。