できる人とできない人の差は①
の続き
今回は運動というよりかは、意識とかメンタルとかその辺にフォーカスを当てた考察。

そこで、なにが違ってできないか、と考え、三つ目の共通点に気付く。
それは「自ら差に気付くセンス」である。
これまた再現性とほぼ同じことを言っているわけだが、自分で自分の違いに気付いたり、自分で自分と他者の違いに気付くことができる人は勝手に上手くなる。
このスキルに関してはもう説明がし辛い。
どうすれば差に気付けるかに関しては、どれだけ注意深いかをそのまま反映するし、いくら見方を教えてもできる人はできるし、できない人はできない。
日本人であれば、「高橋」と「髙橋」の違いにすぐ気付くだろうけれども、アメリカ人であればこの二つの違いに気付けないかもしれない。
また、日本人であっても流し見している時に突然見せられれば差に気付けないかもしれない。
どれだけ物事を細部まで見ることができるかというのは、その人の性格なり経験なりに依存される、と言えば多少暴論かもしれない。
それこそピアノなり、音ゲーなりで難度の高いものをできる人であれば違いに気付くスキルは勝手に身に着くし、私の言いたいこともわかるだろう。
楽譜を読めるようになるのは経験に依存するし、音ゲーも初見で強いよりかはやり込んで譜面を覚えていくことの方が重要だったりする。
結局は差に気付くことはその人次第な面が大きい。

最後に四つ目の共通点として、「マルチタスクが苦手」である。
一つの技術を教える際、5つ以上のポイントを順繰り全て教えようと小出しにしていくが、できない人の場合、小出しにすればするほど注意点が増えていく。
これは、あまりに多くのことを言いすぎてるからじゃないか、と反論されそうだが、元からできる人は一つ、二つのアドバイスを言えばもうできてしまう。
できない人ほどできる人が自然と気を付けている点を全て踏襲する必要があり、難しくなっていく。
基本的にできる人ほど「マルチタスク」に耐えうる。できない人ほど複数処理が苦手になっていく。 


他にもあげられる点は多々あると思うが、一般化できる範囲で四つほど挙げた。

これら全てを満たす相手を教えろと言われ、その人のうちに仕上げるのはなかなかに難しいと思う。

しかし、それでも教えることができたなら、その教えた技術への新たな考察ができると考える。

そうして考察し見つけたものは、間違いなく自然とやっていながら気付けていない要素である。
それがもしかしたら新たな技術に繋がったり、ワールドレベルの選手ですらよくできていない新発見かもしれない。

是非とも考える卓球、発見する卓球を。