先日後輩とオールをしていて言われたことば
「打ちにいかないと点にならない」
試合前になると私は後輩と打つ時、浮いたら問答無用でぶち抜きにかかる。
普段であればある程度気持ち良く卓球できるように配球に気を遣うが、試合前に緩手でチャンスボールを貰えて強打できて自分が強くなった、なんて錯覚されたくない為だ。
高校の県大会ベスト32くらいまでなら打たせても全然勝負になると思うが、ベスト16くらいからは甘いボールで打たせてしまうと強いボールに対してのカウンターを持っていない限りはお話にならない。
より上のレベルになると自分から甘いボールを送ったら負け、甘いボールを貰ったら点数にしなきゃ負けのゲーム性に変わる。
学部系の大会であればベスト16くらいから甘いボールを送れば多少不利になり、ベスト8くらいからは殴りに行かなきゃ点数にならない。
後輩達には、学部系の大会で32~16位になれれば上等かと思い、ある程度手抜いて練習してみるが、一度いつも試合で使うような質のレシーブなりサーブなり3球目なりを入れてみると途端にこれまで楽に打てていたチャンスボールが一切こなくなるため一方的な展開となり、皆口を揃えて「打ちに行かなきゃだめか」と言う
いや、その通りだろ馬鹿野郎
と、常々思うところではあるが、 如何せん打てるボールが来たから打つの打てるボールの範囲は、自分から意識的に打ちに行く習慣を付け、適応を広げていかない限りは広くならない。
理想は全てを強打すること、だからこそ新たな技術の必要性に気付いたり、技術の質も高まっていくものである。
そして致命的なのは「打てるボールを誰に対してももらえるような技術が無い」ことである。
ストップなり、チキータ催促なり、フォアストレートフリック、バックストレートドライブ、フォアストレートループドライブ等、次に勝負しやすいボールが来るような工夫があまりに少ない。
それも、質が低い為私のカウンターの適応範囲で、ぶち抜けてしまう
だから勝てないんだぞ、と。
打てる範囲を広げられないなら、なぜ打てるボールが来るような工夫をしないのか、と素朴に疑問に思う。
大方卓球のゲーム性に対する習熟度が私と他の部員ではあまりに違うというのもあるかもしれないし、事実6年間試合に出る度にそういったことを考え続け、インハイ出場者とも互角に勝負できるくらいに戦術が煮詰まってるから当たり前なのかもしれないが、それにしても卓球を考えてなさすぎるのがオールで如実に表れる。
運動は考えるだけじゃできない、とよく言われるが、そもそも考えてからやらないと「ゲーム」ではない。
勝つ為の筋書きと、それに対する対応に対しての対応まではせめて考えておきたいもの。
ストップとかツッツキとかで催促されて、その催促を返すことなく詰むというのはあまりにお粗末すぎやしませんか、、、?
私以外に部員でそういうことをしてくる選手がいないから、そのぬるま湯に浸ってた
そんな言い訳聞きたくありません。
私自身、そのことを言った張本人と練習しても十分に強くなれたし、明らかに次元差がある相手との練習でも高い次元で練習する方法を考えてきた。
工夫の無い卓球のままでは、工夫の無い練習しかできないのは当然の帰着である。
強くなれるはずないだろうよ。
格が違う相手とも同格以上の練習をするにはオール練習であっても自分の待ち方をよりオール寄りにし、相手に自分のサーブレシーブを教え予め高次元のレシーブが来るように設定しておくことが重要。
そこで、相手にメタを張り、楽に打てるようなオナニー卓球をするなど笑止千万。
強くなれるはずがない。
強くなるためには何でも考える姿勢が重要。
このブログの読者も自分が強くなれるような工夫をどこまでできていますか?
私は卓球経験3年の女子相手でも自分が練習できるような展開やメソッドは考えてありますよ。
ちょいと煽り気味の問題提起でした。
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