※1 自分を抑える意味での我慢、耐える意味での我慢が大事という趣旨を無理矢理一般的にしようと考察していく内容です。
※2 何度か加筆していきます。割とheavyな分量・内容です。理解できない方は諦めて下さい。
※3 本記事での内容をスタッツ論とします。今後とも使う知識ですので理解して頂けると幸いです。
※4 補足1


競技における戦術に含まれる要素の内、競われるものを大きく二つにわけるとするならば技術的優位性と精神的優位性であると考える。

以後簡略化のため技術的優位性(technical  superiority:TS)、精神的優位性(mental superiority:MS)と略す。

言葉の定義として
技術的優位性(TS)とはその技術の得点能力、相手に対しての有効度、などその技の強さであったり、高いボールに対しては上からの強打、甘いツッツキに対してのぶち抜きなどの相性の良さ等を総合的にみて、その技術を使った際の優位性をいう。
精神的優位性(MS)とはその技術を使った際の自分の心境と相手の心境を差し引いた際の自分の優位性をいう。心境は単にメンタルだけでなく、体力、戦術、考え方にも依存する。
簡単に言えば
技術的優位性(TS)が高いとは、一発がある
精神的優位性(MS)が高いとは、無意識に勝てると思えること

スタッツとは、とある技術における技術的優位性と精神的優位性の合計値を、その技術のスタッツと表現する。

スタッツというとシャドウバースかぶれか、等と思われるかもしれないが、今回表現するには必要不可欠な為なくなく使用する。



第一に主張したいのは、点数をどちらが決まるかというのはスタッツの合計値の高い技術を放った方であるということである。
そう言える理由を例示して示す。

(例1)医歯薬準優勝校の卓球
高校生の県大会2回戦あたりで多そうな卓球。
出たらかけるをモットーに中陣付近でどんなボールも打点を落としてドライブをかけ続ける、ぐっちぃイチオシのチョリチョリ卓球。
医学部系大会で流行のスタイルで、外部からの技術流入が無い為、ほぼ完遂できている戦型。
現役の高校生でこのスタイルであれば、チキータ、バックドライブ等に対応するため分岐は多くなる。チョリチョリスタイルに対してカウンターもデフォ搭載であるため、一発であったり緩急が無いと攻めとしては完結しにくい。
しかし、そういうものが全くない環境においては相手がミスをするまで待ってドライブをかけることが点数を取る近道であり、回り道である。
点数を取る際のパターンとしては2パターン

case1:(チョリチョリ側)ドライブ対(相手側)ブロック

一度ドライブをして、相手がブロックをする展開となればチョリ側としては練習通りの展開となるためMSは大きくなる。相手にブロックの変化を付けられない限りはTSの変化はせず、相手がミスをするまで入れ続けることができるならばTSは絶大となる。それ故スタッツとしては(MS、TS)=(↑、その人の技量次第)となり、形勢良しとなる。
その一方でブロック側としては相手の技量次第となるが、ただ繋いでも優位は取れないとなればブロックで頼る他無い場合においてはMSは小さくなる。得点手段として単なるブロックから伸ばすブロック、カウンター、プッシュ等様々な技術選択を強いられそれができた場合はTSが大きくなるが、そうした技術を強いられるといった意味合いでMSは小さくなる。元からボールを見て、相手の戦型を見て形勢判断をし、一つのボールに対して様々な技術を練習しておく選手でない限りは詰みとなる。この場合は(MS、TS)=(→or↓、その人の技量次第)となり、やはり技術レベルによって変わる。

case2: ドライブ対ドライブ

これは引き合いの力に依存するため、MS、TS共に技量依存。
ただ、あくまで私経験則だがかけ続けるスタイルの方が打点を高くすることでミスをしやすい、いいボールを打ちづらい傾向がある。そのため引き合いが大きくなれば大きくなるほどチョリ側は下がる必要性が出てくる。となれば手前にドライブをされるだけで詰みの筋が見えてくるため、チョリ側のMSは小さくなりやすい。一方で受け側の方がドライブをし続けることに抵抗感があった場合、MS、TS共に小さくなる。受け側に知識が無い場合に限ってはスタッツとしてはチョリ側の方が大きく、どちらかと言えばチョリ側の方が優勢となりやすい。

例1での要旨をまとめるならば、両者のスタッツは両者に影響を与え合うということである。

(例2)泥仕合における技術選択
相手はチョリチョリではないものの、フラット多用のパチパチ系。打てれば全てパチパチ。
前陣でかけ返そうにも相手のボールが微妙に早く切り替えも上手い為、常に一発を打てる体勢を作れない。
フォアにチャンスボールを送った場合、ネットより露骨に高いボールでなければ一発を打たれない。ほどほどに浅い、ほどほどに高いぐらいであれば相手のミス待ちをできる程度のボールが来る。フォアのコース取りは様々あるが、ストレート、クロス共に厳しいコースはこない。クロスに来たボールをストレートにぶち抜く余裕は作れそう。バックも一発は無くクロスに返球しかない。

case1: (自分)前述の状況のまま、一発を打てるボールがフォアに来るまで粘る。基本的にこうした粘り展開は好まない。団体戦等で勝ちが必須な為粘らざるを得ない(相手)一発を打ちたいが打てるボールが来ない、ミス待ちで粘る。こうした戦い方には慣れている。ループで打たれない為練習通りの待ちができている。

この状況において、相手側としては書いたようあくまでいつも通り。MSとしては→or↑でやや優勢。TSとしては一発が打てない分優位は取れてはいないが、相手からの一発もフォアに送らない限りは無く縛りができているという意味合いで展開的優位、TSは→or↑
自分側としては相手からの展開の縛りが強く、不慣れ。TS→であり、仕掛けができない。自分が頑張って繋ぐことを強要されているためMS→or↓

この局面においては自分がしかけができない前提なため自分が粘り強く我慢することしか勝ち筋は無い。先にミスをしてくれるのを待つ。我慢勝負に持ち込まれ、自らも乗ったとなる。

大方このようなシチュエーションではTSの差はあったところで縛りによって差は無くなり、スタッツはMSに依存し合う。
これこそが所謂メンタルゲー、スタッツはMSが全て。そしてMSはメンタルだけにあらず、体力も含んでいい。体力、メンタルを削り合うMSバトルでも共に平常を保つことができる。だからといって、体力だけあればいいというわけでも気持ちが圧倒的に強ければ勝てるというわけでもないというのがメンタルゲーの面白いところだが。

少なからず、MSによる相手のMSの縛りもあると言えるだろう。

case2:(自分)前で五分以下の勝負をするよりも盛り返す技術をなんとか入れていきたい。止め方からしてフラット系であるため、一度ループを混ぜる事ができればチャンスボールを貰うことができそう。多少運動量が多くなるが、ただ繋いで待つ方が運動量が多いと判断し、フォア4/5をフォアドライブで処理すると決意。(相手)ドライブに対してはきっちり待って当ててしまうため、チャンスボールはいきやすくなる。しかし、ドライブに対しては繋ぎしか練習をしてきていない。

この状況において自分側としてはTSとしては明らかに↑、しかしMSとしては苦しい局面で自分が苦しいが強い選択を強いられているため↓~↓↓
(TS、MS)=(↑、↓~↓↓)
相手側としてはTSは明らかに↓、MSとしてもやれることは一つだけという意味合いでは→、相手のTSによる縛りで安定してドライブをされた際詰んだとしたらを考えるとMS↓~↓↓
(TS、MS)=(↓、→~↓↓)
こう見れば、スタッツとしては自分側の方が有利。
しかして、MS不利であり、ある種自分への負荷は大きい。絶大なTSの為に自分を追い込んで、MSを削ってまでスタッツを取りにいけるかどうかという課題が生まれる。

ここでの要旨をまとめると、MS、TS共に縛りを入れることはできる。その一方でその人の技量次第で片一方の強烈な縛りすらもスタッツで上回りチャラにすることがある。





さて、ここまで例示していくと徐々に質の高いボールとは何か分かってきただろうか。
ズバリ言うなれば、質の高いボールとは単純にスタッツが高いボールを言う
卓球の競技性としてはまさにカードゲームに例えられるべきで、大富豪というよりもシャドウバースに例えた方がしっくりきたりする。
スタッツの高いカードを出しあって高い方が勝つゲーム性。
しかし、スタッツの高いといっても、それは絶対的(その人にとっての)なスタッツが高ければいいというわけではない出せる状況が無ければ、相対的にスタッツが高いカードの方が強い局面も多く存在する。

馬龍のパワードライブは
(TS、MS)=(∞、∞)
なのかもしれない。しかし、それを打てる場面が来なければ意味が無い。
そしてそのスタッツは相手に依存して下げられることがある。
相手の対策次第では
(TS、MS)=(5、5)
にまで下げられたり、また、その一発が敗着となるような準備をされていた場合は
(TS、MS)=(2、-10)
なんて局面もありうる。打ち終わりをきれいにブロックされ、次に反撃されるなんてストーリーだ。

基本的にスタッツは維持されないのが卓球。
となれば、スタッツが高いボールが質の高いボールと言っているのに維持されないのならスタッツは何なのか、どうやれば常に高く維持することができるのかといった疑問が生じるであろう。

そこで前述したように相手のスタッツを下げることで相対的に高く保つとした考え方が有効となる。
これこそが上級者の言う質の高いボールに他ならない。
チャンスボールが来たら高スタッツのボールでぶち抜く、チャンスボールに対して常に高スタッツであるのが上級者の上達である。
それ故に、高スタッツのボールが打てないようなボールを出し続けることで、高スタッツを出せないような状況へと縛る=高スタッツの技のスタッツを下げる。
その結果として、他の技での縛り合いとなり、TS、MSの相互干渉における優位性の奪い合いへと焦点を移していく。
具体的な技術を上げるならばストップ、低いツッツキ、低いドライブ、ミドルへのドライブ、遅いループ、ナックルドライブ・・・等単体のスタッツは決して高くは無い、一発を取れないような技術。
だが、お互いに高スタッツ技を出されないように、超低スタッツ技である浮いたボールを出さないような駆け引きをしている場合においては全て有効手、スタッツが高い技術といっていい。
そうして、これらを続けていくうちにMSが削られていき、TSの低い技を出さざるを得なくなる。出したくないならミスをせざるを得なくなる。

こう見ると、レベルが上がれば上がるほど、お互いのMS、TSが高くなりスタッツも高くなるため、MS、TSの下げ合いをしたところで我々一般レベルから見ると高スタッツの技の応酬に見えてしまう。
こう見えてしまうことこそが、レベルの差といっていいだろう。まさにヤムチャ視点である。

しかして、またその逆もある、私が体験した反例を述べる。
試合の応援をされている時に「サーブゲーだ」とか「速いボール打てるから強い」なんて的外れな言葉が聞こえてくる。
確かにサービスエースを取ったり、相手に浮いたボールを貰ってぶち抜いたりと派手な展開を私が実際にしている。そうして、相手が弱くみえてしまう。

これはまさに逆。
そもそも応援している側は練習中に私のサーブが単体では強くないこと、早いボールも条件が揃わなければ打てないことに知っているはず。
だがそれでいても応援に居る人たちよりも弱いサーブで私はサーブゲーをできてしまう、その意味合いを全くもって考えていない。
その本質はサーブが効くように相手のスタッツを下げる手順を踏んでいるからである。
場面はダブルス、相手はフォアのチョリチョリスタイル、相手が下がって待っていることを相方に聞いた私は、長いサーブを見せてより待ちの位置を下げさせたことを確認。
返ってくるとしたらフォア側だろうと相方に確認した上で短い巻き込みの低いアップ→サービスエース
その後、更に相手は短い上を見た為、打点を前にする意識になるであろう。サイドを切った巻き込みの速い下系サービスに対しては距離もつまり強く返せない。返されても緩いボールだし、ミスをするなら勝手に手が出てしまってのオーバーミス→サービスエース

単なるサーブゲー等ではなく、十分に相手のTS・MSを縛りきった上での中程度TS+準備万端のMSとした高スタッツの攻めが効いたと言える。つまりはTSは高くなくても、相手のスタッツを下げ、MSにて補完し相対的高スタッツとしたと言うこと。

少なからずダブルスで巻き込みでサービスエースを奪うことのむずかしさを知らない人間の言うセリフが「サーブゲー」だということは理解いただけたと思う。

ただ、そうした認識がある一方で私はあえて「サーブゲー」をしろと指示することがある。
それは後々のビジョンを見据えてのものではない。単純に高スタッツの技で相手をぶっ飛ばせ、という意味である。
ただそれが効くのも低レベルな相手のみ。単に強いサーブであればある程度いじったり、サーブ側のスタッツに縛りを入れてレシーブから五分以上の相手有利局面を作られ負ける。
頭の悪い人間にしか使えないのもまた「サーブゲー」であったりする。

一方「糞ゲー」をしろ、といって「初心者サーブ」を出すよう指示することがある。
これこそが、スタッツ縛りの始動であり、サーブからの相手の縛り方を私の指示通りにした場合に限って、常にTSは五分に、MS勝負に持ち込める戦術である。この件に関しては何度も述べている為、割愛する。




さてまとめていくが、まず概念として攻めと守りの区別を攻撃と防御という意味合いで取ってはならないということを先に説明しておく。
というのも攻めは高スタッツをぶつけること、守りはブロックして嵐が過ぎ去るのを待つことという認識の人間が一般レベルでは相当数いるだろう。

そうした認識を持つ人間は肝心な場面ではまずポカをする。
繰り返し言うが、スタッツというものは下げることができるし、上げることができる。

これをもとに言うなれば、
攻めは自分のスタッツを上げる事、守りは相手のスタッツを下げる事
と定義すべきと考える。
いやいや、どちらも自分のスタッツが相対的に上がっているでしょうと思われた方は正解。
攻めも守りもどちらにせよ、相手よりスタッツが低いままでは負けてしまうのが卓球である。
攻める時は最強カードだ!と入るも入らないもOK!と運ゲーに走るのではなく(私は嫌いでないが)、相手をよく観察しながら、一発が打てるような構成を整えていく
守る時にブロックし続けてミスればいいなーではなく、ブロックしつつもコースを変えて相手の挙動を確認しつつ徐々に相手の状況をTS・MSを下げに行く
こうした意識を常に持って練習をしていないと、試合で安定して勝つことは不可能である。

さて、相手を観察しながら試合なんてできるわけがない、と思われる方も多いかもしれない

そういう人の多くは、練習中に愉悦に浸りつつ、自己欺瞞に陥っていることに気付くべきである。

自分が得点しづらい筋を元から試合前に消していない人間は間違いなく多いだろう。
得てしてそういう部分が試合で求められることが多い。
例えば例2case2であげたようなほぼオールフォア
自分は両ハンドだからとミドル寄りのボールを打たないぞと決めてかかった人に限って、繋がれてMS負けしたりする。
自分のMSが削られるような練習であっても地道にチョリがけしたり、試合をイメージした運動量多めor少な目or普通のバック対オールなどを取り入れている選手であれば、打開できる筋がなくなりはしない。


本当に試合に勝ちたいのなら、苦手な筋を洗いざらい出しておき、自分の勝てる筋とか突破できる筋だけでなく、どの筋も五分は勝負できるようつぶしておかなければならない。
そんな発想も度量もない人間こそ、一球目攻撃であるサーブゲーに頼らざるを得なくなり、上手く返されたら最後自滅して負けていくわけだ。
そこで返ってきたボールを自らのMSを削りきってまで待って、我慢して、頑張ってかけて、強打してとできるならばまだいい。
できずにただつなぐだけというのはただのスタッツ負けに他ならない。

そうして、たとえ三球目で点数が取れるようになったとしよう。
普通は三球目の練習中には三球目がかえってきた時にどうするかまで考えてするものである。
返ってきて詰みという局面は、日頃の意識の低さを如実に示してしまう。実際に試合になってみないと明るみになってしまう場面であろう。そこで、意識が低いと気付ければまだいい。気付けずに返した方が上手いと捉えるのは危険信号であろう。
 
ただその一方で確実にぶち抜く三球目というものも必要となってくる。
相手の位置、相手の挙動を見た上で絶対に返せないコース、絶対に返せないボールを打ち込む。
これは相手のスタッツを下げ、かつ自分のスタッツも上がる有意義な三球目と言えよう。


しかして、苦しい場面で使う技術を練習するためには、自ら苦しい練習をしなければならない。
そうした意識が果たしてあるだろうか。
楽に返せるボールに対しても意図的に苦しいボールに変えて打つ練習ができているだろうか。
そんな状況が来ないとたかをくくっていないだろうか。
下手な人の弱弱しい三球目をなんともなしに返して、ミスをされてはいはい練習なりません、で終わっていいのか。逆に相手が打ちやすいようなコースにきっちり送る練習ができれば、その逆も意図的にできるとした発想は持てているのか。
格上との練習で一発を打たれて苦し紛れに返してもう一発を打たれてああとれませんでした、で終わっていいのか。そこで頑張って待って取る、取り方を工夫すると食らいつくことの方が重要なのではないのか。
強打する練習で強打しづらいボールを普通につないでいいのか。格上にはそれは狙われる。苦しくも攻撃的に返せるよう工夫すべきではないのか。


自らの意識一つで必要な技術が見つかれば、苦手な技術が見つからなかったりする。つまりは試行錯誤の中でしか上達する筋は見つけられない。
 
試合中に要点を理解し戦い方を変えられないなら、事前にどんなボールが来てもスタッツ五分に渡り合えるような検討・準備をしているべきである。

何ともなしにつないでいる球、何ともなしに強打できている球、難しいと思う球 
全てにおいて、考察する余地が残されている。 


相手のスタッツを下げられるような技術を上げれば上げるほど、その技術は所謂質の高いボール、相対的に常にスタッツの高い技術として進化し続ける。

改めてもう一度言おう。

強くなるためには、スタッツを上げろ、と。

スタッツを上げる方法はいくらでもある。それは全て本人の意識次第、発想次第なのだから。 


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